こどもと大人の協働のまちづくり
鹿嶋市では、子ども達の提案による谷津田再生プロジェクトが始まっています!
かつて、鹿島神宮の森と谷津田と湖はつながっていました。しかし現在、市街化によって緑地の面積が減少し、神宮の森と谷津田が分断され、谷津田は荒れ果てています。
そんな荒れている谷津田の再生しようと立ち上がったのは、鹿嶋市立豊郷小学校の子どもたちです。2006年度の1年間、豊郷小5年生の子どもたちは北浦への水草の植付けや湖の生物調査、また谷津田での生物調査を行い、水源地再生プランを作成し、そのプランを地域の大人たちに提案しました!
それは、荒れている谷津田を生きものが湧き出る田んぼに再生し、その田んぼでトキやコウノトリが餌を取り、鹿島神宮の大木に巣をかけることを目標とするプランです。地域の大人たちもこの提案を受け、下草刈りや枝払いなどを行い、谷津田再生に協力。2007年度の春、子どもたちの提案が実現し、田んぼでお米づくりが始まりました。
豊富に湧き出る湧き水を利用してお米づくりをしています。
これまでの動き
水源地が再生するまでの経緯と今までの活動を紹介します。
《2006年度》 子ども達は北浦での自然再生や水源地の調査に取り組んできました。
その経験を踏まえて、地域の方々に向けて生きものが湧き出る水源地再生の提案発表をしました。(2007年3月14日)
その提案に賛成してくれた地域の方々と一緒に、子どもたちは荒れてしまった谷津田の草刈りをしました。
とうとう田んぼが再生!子ども達の提案が実現しました!!
再生した谷津田で、人にも生きものにも嬉しい米づくりが始まりました。
この取り組みに賛同してくれた東京の企業さん(USB証券会社)もボランティアとして参加してくださいました。
今現在も子ども達が先輩達のあとを引き継いで、湖の活動や水源地での活動を行っています。子ども達の取り組みに感銘を受けた大人たちも続々と活動に参加してくれています。
今後の取り組みが楽しみです。
皆さん楽しみにしていてください。
マメ知識
かつて鹿島神宮と谷津田が一体であったことは、なんと1000年以上の昔に書かれた『常陸国風土記』にも記されています!
この書から、当時の谷津田の様子や、昔は人間と自然が共存して暮していたことなどもわかります。
※常陸国風土記(ひたちのくにふどき)
・・・奈良時代初期の713年に編纂された常陸の国(茨城県の大部分)の地誌