100年後トキの舞う霞ヶ浦を!
霞ヶ浦流域でトキが再び舞うまでの100年計画図をアサザプロジェクト立ち上げ前に作成しました。この図は、霞ヶ浦湖岸の再生から始まり、流域にある水源地などへ自然の連続性が広がっていくことによって普通にみられるようになる鳥たちで描いています。
100年後に野生復帰したトキが湖面に舞う。
そのような霞ヶ浦・北浦流域の自然と人間の共生の未来がアサザプロジェクトの夢であり、目標です。
百年計画が示す未来とは?
アサザプロジェクトの100年計画が示す未来への展望
1.アサザプロジェクトの100年計画
小学校などでアサザプロジェクトの話をしにいくと必ず説明する図がある.
これらの図は,100年後に霞ヶ浦に大自然を再生しようというアサザプロジェクトの計画図である.
50年後までは10年置きに具体的な生物を目標に進められる.
ツルからトキまでの50年間は,文化を造り上げる時間として設定されている.
里の水辺に暮らしてきたこれらの生物は,人間を排除した保護区などに隔離保護することはできない.と云うより不可能である.
かれらは元々人間の活動が及ばない余白部分で暮らしていたわけではないからだ.
これらの野生生物と共生する文化が生まれない限り,かれらと共に生きることはできない(飯島,1989).
1995年から2000年までは,この100年計画の準備期間とした.
だからこの文章を書いている今(1998年)は,準備期間にあたる.
それ以後は,湖全域での展開を図りたいと考えている.
それには,公共事業との連携など社会システムと連動した「プロジェクト」への展開が不可欠である.
この図の中の各断面図は,それぞれの生物の生息に必要な自然要素のユニットを表している.
それぞれの生物はそれらの環境要素を総合するものであり,実際に呼び戻す具体的な目標である.
断面図は,またそれぞれ環境再生を行う範囲と各要素の組み合わせを示している.
まず,一番上はアサザを植え付けて10年未満の期間で,粗朶消波堤とアサザ,アシなどが植え付けられ定着しつつある状態を表している.
カイツブリやオオバンなどの水鳥,ウチワヤンマやギンヤンマなどのトンボが生息するようになる.
広がったアサザの中には他の浮葉植物(ガガブタ,ヒシなど)が見られるようになる.
この段階では水質の改善が充分ではないので,沈水植物群落の再生はまだ実現していない.
この段階で再生可能なアサザ等から水辺再生をはじめる.
アサザの花が満開になると湖の各所では,お花見会が催される.
上から2番目の断面図は10年後の様子を表す.
アサザの波消し効果等の自然の働きを活かした取り組みによって浅瀬ができると,アシ原が沖に向かって広がりその前面にマコモやヒメガマなどの抽水植物群落ができ始める.
アサザは粗朶消波堤を突き抜けて沖に向かって伸び始める.
場合によっては,さらに沖側に新たに小規模の粗朶消波堤を漁師さん達の於朶漁の一環として設置する.
アシ原の前面に何重もの群落ができはじめ,波を抑えることができるようになる.
アシ原には緩やかに波が打ち寄せる.
アシ原にオオヨシキリが巣をつくるようになる.
オオヨシキリの声が響き,湖岸は大分にぎやかになる.
草むらの中にはイトトンボの仲間も増える.
春にはコイやフナが浅瀬で水しぶきを上げて行う産卵(のっこみ)も見られる.
20年後には,沖に向かって植生帯はさらに広がり,岸側には砂がたまり安定した場所にはヤナギ林ができ始める.
アシ原が広がるにつれてオオヨシキリの数も増え,近くにマコモの群落もひろがる.
夏の間カッコウがヤナギの木に止まって爽やかな声を湖面に響かせる.
アシの間をアオヤンマが飛ぶ.
冬になるとマコモの根茎部を食べにオオハクチョウがやって来て,冷たい空気の中をトランペットのような声で鳴き交わす.
アサザプロジェクトが流域全体で展開され,湖の水質の改善が見えはじめ,湖内の各所に沈水植物群落が再生してくる.
30年後,この頃までにプロジェクトは全域で実施され,湖のほとんどすべての場所が人々との絆で結ばれる.
ヤナギ林も十分に大きくなり植生帯の幅はさらに広がり,堤防などにいる人間からも十分な距離(遠くてあたたかな距離)を保てるようになると,雁の仲間オオヒシクイがマコモやヒシを食べにやってくる.
国の天然記念物であるオオヒシクイの関東地方で唯一の越冬地が霞ヶ浦畔の茨城県江戸崎町にある.
ここは,太平洋側の南限の越冬地でもある貴重な場所だ.
ここには毎冬50~70羽の小群が渡来してるが,この個体群を手厚く保護して1000羽を越える群に回復させる計画が進められている.
市民団体「ヒシクイ保護基金」によるオオヒシクイ米産直運動である.
オオヒシクイの生息に配慮して水田管理を行う農家から米を買い上げ,全国の消費者に届ける制度で,広大な越冬地(約500ヘクタール)を計画的に保全していこうという取組である.
個体群として安定する1000羽レベルで維持するためには,それまでに広大な湿地である霞ヶ浦を採食地として利用できるようにしておかなければならない.
また,この断面図を見て分かるとおり,湖と周辺の水田(+流入河川)の一体的な保全が確立されることで,水田と湖の両方を利用する雁の生息に適した環境が整えられる.
霞ヶ浦を含めたオオヒシクイの生息地が確保されれば,ここを拠点に関東地方各地さらには太平洋側の南部へと雁のいる風景を取り戻す取組を展開することができる.
冬の風物詩である雁行や落雁の光景が,湖周辺で普通に見られるようになる.
40年後には,野生状態では絶滅したコウノトリの野外復帰を目標とする.
コウノトリは現在兵庫県豊岡市の保護増殖センターや動物園などに122羽が飼育され,野外復帰が計画されている.断面図で示す保全システム(きめ細かな流域管理)は,湖から周囲の水田,ハス田,流入河川,溜め池,台地の斜面林にまで及ぶ.
アサザプロジェクトが始まってから40年も経つと斜面林の中には大木も目立つようになる.
これらの保護樹木はコウノトリの営巣場所になる.
また,周囲の水田やハス田,水路は流入河川や湖との連続性が維持され,在来魚が自由に行き来できるようになっている.
これらの浅い湿地に豊富に確保された食物を求め,コウノトリが定着するようになる.湖の周囲でコウノトリのクラッタリングが賑やかに響くようになる.
上流から下流までトータルに環境を保全する社会システムが構築されることで,湖の水質改善がさらに進み,沈水植物群落が沖に広がっていく.
コウノトリは昔から吉兆を表す瑞鳥と云われてきた.ここまで来れば,未来への展望は大きく拓ける.
50年後の目標はツルだ.霞ヶ浦周辺にはかつて数種類のツルが越冬しに来ていた記録がある.
断面図はコウノトリと同じだが,加えて台地の中に入り込む浸食谷にある谷津田の環境が保全される.
谷津田(谷地田と同じ)は,大型の流入河川を持たない霞ヶ浦にあって貴重な水源地である.
奥まった谷の周囲を被う斜面林さらに台地上の平地林を水源として,谷間の水田には一年中湧き水が流れ込む.
森に囲まれ浅い開放的な水面が維持された谷津田は警戒心の強いツルたちの塒として必要な環境である.
しかし,この谷津田は湿田であることや耕地が狭いこと等が原因で減反の対象になりやすく耕作を放棄されてしまうことが多い.
放棄された谷津田はすぐにアシ原になり,廃棄物の不法投棄などに狙われる.
廃棄物処分場で問題になっている多くの地域がこの谷津田に該当している.人々との結びつきを失った里の自然を守るのはむつかしい.
霞ヶ浦の水源部である谷津田を保全するもっとも有効な方法は,管理者である農家に水田として維持し続けてもらうことだろう.
この条件不利地域での農業には水源保全に関する公的支援や付加価値の高い米づくりを推進することが必要である.
アサザプロジェクトではそのひとつとして,谷津田耕作者への助成制度と酒米の栽培を蔵元や消費者と連携して行う水源保護の地酒づくりを提案している
(オオヒシクイ米にならって,ツル米やトキ米もいいだろう).
ツルは千年というが,50年後のツルを達成できたとき,1000年を単位とした構想や計画を持つようになるのは無理としても,次の22世紀を展望できるようにはなっているに違いない.
そして,最後に100年後であるが,トキを目標とする.
国内のトキはすでに絶滅する運命となったが,中国には洋県の個体群をはじめ飼育個体も含めは125羽程度が生息している.
トキのいる風景を霞ヶ浦に取り戻す.
それにはそれ以前に中国のトキの保護活動への支援や参加,野外復帰に向けた取組など,数多くの課題があるだろう.
しかし,もっとも求められるものは,かつて滅ぼしてしまったトキと再び共存するための文化(自然と人間との新たな関係性の構築)だろう.
その文化は野生生物たちと共につくる文化である.
ツルからの50年は,次の22世紀を展望しつつ,この共生の文化を構築する期間とする.
そして,22世紀を迎え湖のパレットには朱鷺色が加わる.
2.アサザと共に広がる未来への展望
アサザプロジェクトが提案する100年後の霞ヶ浦をご覧になって,多くの方は「なんて脳天気な.楽天家もいいところだ」 という意見を持たれるかも知れない.
確かに,巷には100年後の破滅的状況を予測する暗澹たる未来像があふれている.
しかし,未来は決して向こうから押し寄せてくるものではない.われわれが展望を持って地道に築き上げていくものだ.
未来は,今のわたしたちの生き方そのものの中にあるのだから.
トキやコウノトリを野外復帰させることができなければ,水質汚濁や地球温暖化も解決できないのではないか.
なによりも大切なことは諦めないこと,そして地道な取組の中に大きな展望を持ち続けることではないか.
地道な取組を支えるもの,それは評価されることだ.湖に評価された喜びが人々を力づける.
先に述べたように,アサザプロジェクトは湖の呼びかけに応えることから始まった.
わたしたちの取組を正しく評価できるのは湖以外にはない.
子ども達が植え付けたアサザはうまく根付いてくれれば,10数年後には大群落をつくり黄色の花を一面に咲かせ,たくさんの生き物が憩う場所となる.
自分たちが植えたアサザが湖に大群落をつくっているのを目にしたとき,その若者は「誇りと自信」を湖に見出すだろう.
この誇りと自信が壮大な100年計画を支える原動力である.
アサザは大きな湖を再生するためのプロセスのひとつだが,ひとりひとりの子ども達が植えたひとつひとつのアサザが広大な湖面に向かって広がっていく光景は人々を力づけ,未来への展望を抱かせるにちがいない.
湖に注がなければならないもの,それは夢である.
※この内容は飯島博著,湖と森と人を結ぶ霞ヶ浦アサザプロジェクト~よみがえれアサザ咲く水辺(1999年 文一総合出版 鷲谷いづみ・飯島博)に一部加筆したものです.
代表理事 飯島 博