1.ひとつの花からはじまった物語
この物語は、湖の水辺に咲く可憐なひとつの花からはじまりました。
この花との出会いのきっかけは、日本で二番目に大きな湖、霞ヶ浦(北浦を含む)の岸辺全周を歩いて調べる環境調査でした。
わたしたちは、その調査を湖のお宝探しと呼んでいました。
そのときに見つけたお宝のひとつが水辺で可憐な花を咲かせていたアサザという水草です。
1970年代規模に行われた水資源開発事業によって霞ヶ浦の湖岸全周がコンクリート護岸に被われ、豊かな湖の自然の大半が失われました。
また、同じ時期に湖と海の間に逆水門(常陸川水門)が建設され、海から湖への水の動きが完全に遮断されてしまったため、ヤマトシジミやシラスウナギなどの多くの魚介類が姿を消していきました。
さらに、流域に多くの町が作られ多くの人が住むようになり生活排水や工業排水が流れ込み、湖の水質は一気に悪化し養殖のコイが湖内で大量に死ぬなどの異常な事態が生じました。
霞ヶ浦の水質汚濁は大きな社会問題となり、いつしか霞ヶ浦はその当時から大発生をはじめたアオコの湖と呼ばれるようになりました。
1980年代に入り、霞ヶ浦の急激な水質汚濁に危機感をもった国や茨城県は、工業排水の規制や有リンの洗剤の使用禁止などの措置を講じる法律や条例を制定して、水質の改善をはかろうとしました。
これらの規制の効果で一時期霞ヶ浦の水質は改善の傾向を示しましたが、1990年代には再び悪化し始めその後は悪化の一途をたどることになります。
1990年代半ば頃には、行政も霞ヶ浦の改善の見込みを示すことができない状況となり、市民団体や研究者の間では「霞ヶ浦の緩慢な死」などと言う言葉が使われ多くの市民も「もう霞ヶ浦を再生することは不可能だ」という諦めと何をやっても駄目だという閉塞感が地域を被っていました。
このような閉塞状況から抜け出すために、わたしたち(現在のアサザ基金)は、霞ヶ浦再生のヒントは霞ヶ浦の中にあるはずだと考え、自分たちの足で霞ヶ浦の全域を歩き調べてみようということになりました。
休日を中心に、毎回数人のメンバーが集まり数十㎞ずつ湖岸を歩いて調査を行いました。参加者の多くは小中学生でした。
毎回のように参加してくれる子どもたちも多く、子どもたちはこの調査を霞ヶ浦のお宝探しと呼んでいました。
多くの大人が死の湖などと呼ぶようになっていた霞ヶ浦を実際に自分たちの足で歩いて丁寧に調べていくと、小さな再生の芽がところどころにあることが見えてきました。
それらの再生の芽を、子どもたちはお宝と呼んでいたのです。
コンクリート護岸の片隅にしがみ付くようにして残された小さな水草群落やそれらをたよりに生きるトンボや魚の姿に出会うたびに湖の自然が蘇ろうとしている小さな希望の光を感じとり、もっとたくさんお宝を探し出して、湖の再生の可能性を多くの市民に知らせていきたいと思うようになりました。
そのお宝探しの時に、わたしたちを驚かせたのは満開に咲いたアサザの群落の存在でした。
全国的に減少していたアサザが霞ヶ浦を歩いてよく調べると、湖のあちらこちらに残っていることが分かってきたのです。
後になって、霞ヶ浦はアサザが全国でもっとも多く残っている場所だということも分かりました。
しかし、同時に研究者の研究から霞ヶ浦のアサザが種から発芽して殖えることができなくなっていることも知りました。
アサザの種が発芽するには、ヨシ原が必要なのです(詳しくは、このホームページの湖の自然再生を見てください)。
しかし、そのヨシ原がコンクリート護岸によって大規模に失われてしまったのです。
それ以外にも、アサザが生育するためには、湖の自然な水位の変化が必要なことも分かりました。
しかし、湖の自然な水位変化も、湖を管理する国土交通省によって人間の都合にあわせた人工的なものに変えられていたのです。
アサザが人間から受けている影響は、霞ヶ浦に生息する他の多くの生物も同じように受けているはずです。
だから、アサザの置かれた現状を知ることで、霞ヶ浦の多くの生物が置かれている状況を知り、わたしたちが霞ヶ浦を再生するために何をしなければならないかを理解することもできると考えました。
そこから、アサザの生態を題材にした霞ヶ浦の出前授業も流域の小中学校で実施するようになりました。
湖をお花畑にして彩るアサザ群落の美しさは、人々に再生の希望を与えてくれます。
アサザのような宝物(再生の芽)が湖にまだまだあることを、人々に感じさせてくれます。
アサザの美しさには、人々の霞ヶ浦に対する見方をマイナス(アオコ)からプラスに転換してくれる力があります。
つまり、単に悪いもの(マイナス)を減らすという発想ではなく、湖に潜在する良いもの・お宝(プラス)を見つけ出し、それらのお宝(特色)を生かして霞ヶ浦を再生していこうという発想への転換を、アサザが引き起こしてくれたのです。
このような出来事からはじまったプロジェクトなので、アサザプロジェクトと名付けたのです。
だから、このプロジェクトは単にアサザを育てて増やす運動などではありません。
このときの発想の転換(プラス思考)で、霞ヶ浦を再生していこうというプロジェクトなのです。
1.ひとつの花からはじまった物語
2.湖に暮らす人々との出会い
3.霞ヶ浦に迫る新たな危機を乗り越える
4.水源や流域全体へと広がるアサザプロジェクト