アサザプロジェクト物語2

2.湖に暮らす人々との出会い

霞ヶ浦の湖岸全周を歩いていた時に、生き物たちだけではなく多くの人々にも出会いました。
その中でも、霞ヶ浦の漁師さんたちとの出会いが大きなものでした。
霞ヶ浦(北浦)の湖岸を調査していたときに、ある入り江にヨシ原ができていて、そこに立てられた看板には「北浦漁協によるヨシ原再生事業」と書かれていました。
国の護岸工事や水位操作などによって減っていくヨシ原を何とかして自分たちの手で増やしていくことで、ヨシ原で産卵をする魚を増やしていこうという漁師さん達による取り組みの現場でした。
さっそく、ヨシ原の近くに住んでいる漁業組合長さんの家を訪ねてみました。
組合長さんは自分たちで人手やお金を出して自力でヨシ原を再生したことや、ヨシ原を再生しようとしたら国交省(当時建設省)から文句を言われたことなどを話してくれました。
わたしたちは、組合長さんの「自分たちの湖は自分たちで良くしていく」という言葉に、強く心を打たれました。
それ以外にも、湖の方々で多くの漁師さんに会い、漁師さんたちが昔からヨシ原や藻場などを自分たちで作る努力をしていたことを知りました。
また、それらには自然から学んだ多くの知恵が生かされていることも知りました。
これらの出会いを通して、自分たち市民にも自らの手で霞ヶ浦を再生させていくことができるのかもしれないという信念が芽生えてきたのです。
そのような信念をさらに強くしてくれたのが、アサザでした。
アサザからわたしたちが得た発想の転換は、もうひとつありました。
それは、波の強い日に霞ヶ浦を歩いていたときにアサザが見せてくれた光景の中にありました。
漁師さんたちからは、沖から岸辺に押し寄せて来る波がヨシ原に直にあたると、その波によってヨシの根元の土が削られていきヨシ原が減少していくことを聞いていました。
昔、霞ヶ浦の水が汚れる前は、水底からモク(沈水植物群落)が茂り湖面にまでのびていた頃には、たくさん茂ったモクが沖側で波を弱めてくれたので、今のように強い波が直接ヨシ原にあたることは無かったという話です。
しかし、わたしたちが歩いていた当時はもう水質が悪化して水中の透明度が下がってしまったため、モクはほぼ全滅状態でした。
そのような話を漁師さんたちから聞いていたわたしたちは、高い波の立っている湖の中にあるアサザ群落を眺めていて気が付きました。
アサザ群落も見事に波を弱めているではないか。
そして、アサザ群落が沖側に広がっているヨシ原にはほとんど波がとどいていないことに気付きました。
このような自然の働きをうまく生かしていけば、霞ヶ浦に自然を取り戻していくことができるかもしれない。そのような勇気と希望をアサザが与えてくれました。

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1.ひとつの花からはじまった物語
2.湖に暮らす人々との出会い
3.霞ヶ浦に迫る新たな危機を乗り越える
4.水源や流域全体へと広がるアサザプロジェクト

 
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