アサザプロジェクト物語4

4.水源や流域全体へと広がるアサザプロジェクト

アサザプロジェクトは、1995年に始った当初から湖の再生と流域の環境保全を一体のものと考えてきました。
1995年には、すでに流域の間伐材を森林組合の協力で提供してもらい霞ヶ浦のアサザやヨシ原の再生事業に活用することも行ってきました。
このような取り組みに、国交省(当時建設省)も積極的に参加し協力をしました。わたしたちが注目していたのは流域の森林だけではなく、流域にネットワーク状に広がり分布する谷津田という水源地でした。
谷津田は森林以上に荒廃が進んでいて一部では産業廃棄物や残土が投棄され問題化していました。
流域に山地が少なく大型の流入河川がない霞ヶ浦では56本ある中小河川の支流にあたる谷津田が水源地になっています。
この谷津田は流域のほぼ全域に分散しています。そして、その9割は谷間の水田が耕作放棄され荒廃が進んでいます。
谷津田は樹枝状の谷の中につくられた田んぼのことで、田んぼを潤す水は谷の周囲を被う森林から滲み出た湧き水です。
これらの谷津田に滲み出た湧き水が流入河川に流れ込み霞ヶ浦に集まるのです。
湧き水が滲み出る田んぼなので、谷津田の田んぼは地下水位が高く泥深いため機械化が困難で農作業が厳しいことなどから早くから減反対象となり放棄される場所が増えていきました。
流域各地の谷津田がこのまま荒廃していったら霞ヶ浦の再生も実現できません。
しかし、行政は谷津田が各地に分散していたり私有地であることなどから、対策を講じることがありませんでした。
アサザプロジェクトは、この困難な課題に企業との恊働によって取り組むことにしました。
かつては、集落の人々の暮らしを支える大切な米作りの場であった谷津田が、農業の近代化などの時代の変化でかつての価値を失い放棄され荒廃しているのであれば、もう一度新たな視点でこの谷津田を見直し、ここに新たな価値を創造することで田んぼの再生と付加価値の高い米作りを実現することはできないかと考えました。
すでに1997年ころから地酒づくりによって谷津田を再生する提案をしていました。
日本酒の原料となる酒米の栽培には谷津田が適しています。
酒米は肥料分を抑えて栽培するため、栄養分の多い湖の水を使う一般の田んぼより湧き水を使う谷津田での栽培が適しているのです。
さらに、この酒米を無農薬無化学肥料で栽培すれば、霞ヶ浦の水源地を良好な状態で保全することができます。
水を汚さず、多くの生物が棲息する場所も再生できます。
霞ヶ浦流域に広く分布する谷津田の多くが再生され無農薬の米作りが行われるようになれば、谷津田の環境を利用するトキが流域に生息できるようになるのではと、1997年に作ったアサザプロジェクト百年計画には百年後にトキが流域で普通に見られる光景を描きました。

2003年にこの提案が実現に向けて動き出しました。
当時アサザ基金と恊働で流域の環境情報を集めるシステムのビジネスモデル化に取り組んでいたNECが、谷津田再生と地酒づくりに恊働で取り組むことになったのです。
このNECとの恊働事業がモデルとなって、その後新たに4つの企業がそれぞれに谷津田再生に取り組むようになりました(三井物産、UBS証券、ホギメディカル、損保ジャパン)。
地酒づくりには、県内の3社の酒造会社(白菊酒造、田中酒造、愛友酒造)が参加しています。このような谷津田再生事業が流域各地にビジネスモデルとして広がり、流域に分布する十数カ所の酒造会社と恊働で流域ブランドの地酒をつくり販売することができれば、流域各地の谷津田が再生されトキが舞う霞ヶ浦も夢ではなくなるでしょう。

アサザプロジェクトは谷津田と同様に耕作放棄地が増えている流域の畑の再生にも取り組み始めています。
もちろん、畑の再生も霞ヶ浦の再生とつながっています。再生した畑で使う肥料は霞ヶ浦で増え続けている外来魚を魚粉にしたものを使い、作物の栽培は無農薬で行います。
この取り組みも、企業や農協、漁協などと恊働で行っています(キヤノンマーケティングJ、日立化成、テキサスインスツルメント、JAやさと、霞ヶ浦漁協、きたうら広域漁協)。
また、このような畑で栽培した大豆を原料に、土浦の老舗醤油会社で霞ヶ浦再生ブランドの醤油つくりも企業と恊働で行っています。

  1.ひとつの花からはじまった物語
  2.湖に暮らす人々との出会い
  3.霞ヶ浦に迫る新たな危機を乗り越える
  4.水源や流域全体へと広がるアサザプロジェクト

 
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