ネットワーク型社会の構築による湖沼保全

 21世紀はネットワーク型社会になるとよく聞く。わたしなりに湖沼保全に向けたネットワーク型社会を展望してみたい。霞ヶ浦の環境問題と向き合う中で、わたしが分かったことは環境問題は環境行政や環境保護運動の枠の中に収まっている限り解決できないということである。そこで、アサザプロジェクトでは、既存の枠組みを越えて展開する広域ネットワークによって、流域全体を被う総合的な施策を実現する方法を考えてきた。

 社会が複雑化し同時に組織の機能が専門分化したことで、相互の関係性が見失われた結果、社会の課題を個別の技術や対策では解決できなくなった。それは、環境に限らず、福祉などの他の政策についても云える。生活者の立場から見れば、環境保全や福祉はすべての分野に開かれたシステムであることの方が自然である。

 個人を核とした現代社会では環境保全が人々の生き方や価値観と結び付かないかぎり、人々の主体的な行動を引き出すことは難しい。つまり、自分の生活の中で起きる様々な出来事を総合化し、人格をとおして統合しようとする意志を持つ個々人が核となったネットワークこそが、自然と共存する社会の基礎となるものである。

 今、湖沼の保全や再生をめざすわたし達に求められているのは、まさに人格が機能するネットワーク型社会の構築であると考える。アサザプロジェクトが目標とする21世紀型社会は、総合化する主体を権力に頼らない、力にはよらない、中心に組織をもたないネットワーク型の社会であり、個々の人格が機能する社会である。

Q&A なぜアサザをシンボルに?

アサザプロジェクトは、アサザをただ増やすことや、アサザで水質を浄化することを目的とした運動ではありません。
アサザをプロジェクトのシンボルにした理由は以下のように多岐にわたります。

1.アサザとの出会いから始まったプロジェクトだからです。
1994年頃、霞ヶ浦再生の方法を模索していた時期に、湖岸全周を歩いて調査した折にアサザの美しい花畑に出会い、その時に受けた感動と発想の転換からアサザプロジェクトは始まりました。
このアサザとの出会いをきっかけに、湖に眠る様々な価値を見付けだしていく取組みがはじまり、現在の価値創造的なアサザプロジェクトへと発展していきました。
当時は霞ヶ浦で大発生を繰り返していたアオコが湖のシンボルとなっていました。水質汚濁を表すアオコがシンボルになっていては、湖のマイナスイメージばかりが先行し、湖の可能性が見えてこないと考え、人々の意識をマイナス思考からプラス思考に転換するきっかけのひとつとしてアサザをシンボルとして位置付けました。

2.自然の働きを活かした湖の再生を考えるきっかけを作ってくれたからです。
1990年頃から霞ヶ浦ではコンクリート護岸の影響などから大きくなった波浪への対策として、石積みの消波堤が造成されはじめ、新たな環境破壊が懸念されていました。当時は湖の波浪対策として石積み消波堤が各地に作られ、生態系を分断したりヘドロの堆積や水質汚濁などの問題を起こしていました。
このような破壊を食い止める方法を考えていた時に、アサザからひとつの発想を得ました。ヨシ原の前面沖側に生育するアサザ群落が波を弱め、波浪による浸食からヨシ原を守る様子を観察していて、アサザのようなヨシ原の沖側に広がる植生帯の形成(再生)が石積み消波堤の代替案になると考えました。それには、現在の水質でも生育できるアサザだけではなく湖本来の植生を、とくに水質改善を進めながら沈水植物群落を拡大していくことで石積み消波堤は必要無くなります。石積み消波堤に対するもうひとつの代替案「粗朶消波施設」は、上記のような植生帯による消波が実現するまでの暫定的な措置として位置付けています。したがって、粗朶消波施設の設計にあたっては、沈水植物群落の消波効果や透水性を参考にしています。
これらの代替案によって、一時期石積み消波堤の造成を止めることができましたが、一部の団体関係者によってアサザや粗朶消波施設への意図的な批判や中止の申し入れが行われた結果、再び延長数十㎞にも及ぶ石積み消波堤の造成が始まり大規模な環境破壊が生じています(上記の団体関係者は石積み消波堤の中止は申し入れていません)。

3.アサザの生態が湖の水位管理や護岸の問題を明らかにするからです。
霞ヶ浦では、湖岸のコンクリート護岸化や不自然な水位管理が湖の生態系全体に大きな影響を与えています。状況を改善するには、このような問題が湖の様々な生物にどのような影響を与えているのかを、多くの人たちに理解してもらうことが必要です。
アサザの生態はよく研究されていたため、アサザがコンクリート護岸や不自然な水位管理によって大きな影響を受ける理由も分かりやすく解説することができました。アサザの生態と環境との関わりを知ることを入り口にして、湖の環境を様々な生物の目になって見直す取組みへと発展させたいと考えました。
また、1996年から実施が計画されていた霞ヶ浦開発運用による極めて不自然な水位管理による生態系への影響を明らかにするために、その影響を受けやすいと考えられていたアサザを指標生物として、湖の変化を調べることにしました。アサザは当時湖全域での分布状況が正確に分かっていた数少ない種だったので指標として最適でした。
私たちの予測どおりに、運用計画に基づく水位管理が開始された1996年から2000年までに、湖全域でアサザが激減しました。このアサザの調査結果を基に水位管理の中止を国に申し入れ(2000年)、一時凍結が実現しました。(しかし、上記の団体関係者によるアサザは元々あまり湖になかったといった根拠の無い批判が行われ、2006年から水位管理が本格的に再開されてしまいました。その結果、アサザをはじめとした湖の生態系はさらに危機的な状況に置かれています。)

4.人々が直接湖に関わるきっかけとして。
霞ヶ浦の環境が悪化すると共に、湖周辺の人々の湖への関心が薄れ、湖に実際に足を運ぶ人も減っていきました。湖への関心を取り戻すためには、まず実際に湖に行って、その環境に触れることが必要です。できれば、湖の水の中に入って体感してもらいたいものです。
絶滅に瀕していたアサザは、多くの人たちに実際に湖に入ってもらうきっかけを作ってくれました。すでに、1万人を超える人たちがアサザの保護活動をきっかけに実際に湖に入り、湖の自然を体験しています。
アサザをきっかけに湖の再生に直接関わった経験が、多くの人々に霞ヶ浦を意識した生活スタイルへの転換を促すことにもなります。

5.環境教育の導入として。
霞ヶ浦の環境を理解するためには、様々な生物の目になって湖の環境を見直すことが必要です。アサザの生態を学ぶ学習は、湖の環境を生物の目で見ることの意味を子ども達に理解してもらう導入として位置付けています。アサザと水質汚濁や護岸、水位管理、ゴミなどの関係を知ることで、湖に生息する魚類や昆虫、植物などへと視野を広げていきます。さらに、霞ヶ浦の再生につながる町づくりの学習にも発展していきます。これまでに、流域の200を越える小中学校で様々なテーマの出前授業を行なってきました。この学習をモデルにした取組みが全国に広がっています。

6.個別縦割り型の発想から抜け出せない研究者や専門家に発想の転換を促す。
アサザプロジェクトがアサザをシンボルとしていることに対する批判をする研究者が一部にいます。これらの研究者に共通していることは、アサザという水草が有するある一部分(要素)だけを抽出して「水質に影響がある」、「ある生物に影響がある」といった的外れな批判を繰り返すことです。また、何度も説明しても、アサザプロジェクトは「アサザで水をきれいにする運動だ」「アサザを増やす運動だ」といった評価(決め付け)から抜け出せない研究者もいます。このような研究者(一部団体関係者)による批判活動(反対運動)によって、先述したように石積み消波堤の造成や不自然な水位管理が再開されてしまいました。
部分だけを見て相手に評価を下して決め付けたり、全体のつながりの中での多様な要素を視野に評価出来ないというような研究者が存在する背景には、あまりにも専門分化した今日の科学のあり方や、要素還元主義(部分知・領域知)に偏った知識体系の中での教育の在り方にも問題があると考えます。総合知をどのように構築するのかが今日の課題となっています。
対象からある一の機能を抽出して、単純に他と比べ、優劣や良否の評価を下す(しかも権威を背景にして)傾向は、研究者のみならず、マスコミをはじめ社会にひろく見られます。このような風潮は、差異の多様性を重視するこれからの社会に逆行するものです。このような単純思考はまさに哲学なき科学主義の弊害といえるでしょう。これはまた、この国では輸入学問である近代科学の知的基盤の脆弱さを示すものでもあります。実際に、その弊害が霞ヶ浦で生じていることは先述したとおりです。
このように、アサザの再生をきっかけに湖の生態系の保全から社会システムの再構築まで展開したアサザプロジェクトの事例は、アサザを多様なつながり(中心の無いネットワーク)の中に溶け込む多義的なシンボル=メタファーとして位置付けた取組みとして、多様性の時代におけるシンボルの新しい在り方を示すものであり、上記の個別縦割り型の発想や単純思考(決め付け)への転換を促すものです。もちろんアサザは、数多くあるシンボルのひとつに過ぎません。
これまで述べてきたように、私たちは社会が抱える問題や課題を強く意識しながらアサザプロジェクトを展開してきました。社会の様々な分野で、アサザがプロジェクトのシンボルになった意味をしっかりと主張していくことが、あらゆる分野に発想の転換を促し、今後の社会の在り方を示していくことになると考えています。同時に、それは新たな時代の知としての「総合知」を生み出していくことでもあります。
以上のように、アサザはシンボルとして様々な要素を持っていることを御理解下さい。

牛久小学校4年生の声 2013

茨城県牛久市立牛久小学校の4年生から授業の感想が届きましたのでご紹介します。この日は、学校のビオトープとプールの生きもの観察をしました。

こどもたちの感想

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わたしは、ヤゴとりが楽しみで夜もほとんどねむれませんでした。今度からは、もっと、もっと、も~っと生き物と話せるようにするので、その時は、ぜひ牛久小学校に来てください。ありがとうございました。

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わたしは、ヤゴとりをやるまえすごくどきどきしました。ヤゴは、プールの中にいるのかしんぱいでした。でも、あみを水の中にいれてすくってみたら、おち葉といっしょにいっぱいとれました。さわってみたら少しきもちわるかったけど、少しかわいかったです。アサザき金のみなさんのおかげで、おおくのことをまなべました。ありがとうございました!

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今日は、みなさんのおかげで楽しい思い出ができました。ヤゴのあごをだしたらうすみどりっぽいものがありました。アサザキ金のみなさん、今日はありがとうございました。生き物を大切にしようと思いました。

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ぼくは、ヤゴとりがとてもたのしみでした。プールに入ると落ち葉とかしかなかったのですが、落ち葉といっしょにほりだすとヤゴが4~3ひきもいました。これからも生きものとお話しできるように勉強したいです。ありがとうございました。

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わたしは、このときをたのしみにまっていました。でもプールにいってヤゴとりをしてみると、いがいとくさかったです。わたしは、ヤゴがさわれなかったのにさわれるようになりました。とてもたのしかったです。これからも生きものとおはなしできるようにがんばります。ありがとうございました。

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この前の総合の時間、ありがとうございました。それで、ヤゴのことをたくさん知りました。例えばアゴがのびたり、真正面から見ると笑っているように見えることも、わかりました。次、会う日もよろしくおねがいします。

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みんなの声

アサザプロジェクトには、延べ10万人を超える子ども達が参加しています。
このページでは、アサザプロジェクトの総合学習などに参加した子ども達の声を紹介します。

子ども達のノートギャラリー

子ども達が授業中に書いたノートや学習の成果をまとめたポスターなどを紹介します。子ども達の心の動きや学びが広がっていった様子を感じ取ってみてください。

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墨田区立 第一寺島小学校4年生授業の感想   2016/3/22
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かっぱ大交流会の参加者の感想  2016/1/30
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  講演の感想
洗足学園中学校 2年生のみなさん
2015/3/16
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  授業の感想
三重県大紀町立 七保小学校4年生のみなさん
2014/3/13
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  授業の感想
沖縄県立 普天間高等学校2年生のみなさん
2013/12/19
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  授業の感想
牛久市立 神谷小学校小学校4年生のみなさん
2013/11/14
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  授業の感想
墨田区立 東吾妻小学校3年生のみなさん
2013/9/9
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  授業の感想
牛久市立 牛久小学校4年生のみなさん
2013/7/9
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  授業の感想
鹿嶋市立 豊津小学校3年生、5年生のみなさん
2013/3/15
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  職場体験の感想
牛久市立 牛久南中学校2年生のみなさん
2013/3/7
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  授業の感想
大仙市立 太田南小学校4年生のみなさん
2012/12/12
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  授業の感想
南三陸町立 伊里前小学校3年生のみなさん
2012/12/12
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  授業の感想
小美玉市立 羽鳥小学校4年生のみなさん
2012/7/31
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  授業の感想
小美玉市立 橘小学校3年生のみなさん
2011/12/9
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  授業の感想
札幌市立 上野幌東小学校6年生のみなさん
2011/8/24
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  授業の感想
牛久市立 中根小学校5年生のみなさん
2011/7/4
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  授業の感想
茨城県土浦市立 東小学校4年生のみなさん
2011/6/10
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  授業の感想
東京都港区立 御田小学校4年生のみなさん
2011/2/1
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  授業の感想
稲敷市立 鳩崎小学校3、4年生のみなさん
2010/11/18
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  授業の感想
石岡市立 園部小学校3年生のみなさん
2010/11/18
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  授業の感想
北九州市立 清水小学校5年生のみなさん
2010/9/10
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  授業の感想
千葉県流山市立 鰭ヶ崎小学校4年生のみなさん
2010/10/22
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  授業の感想
秋田県潟上市立 豊川小学校4年生のみなさん
2009/10/8
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  授業の感想
東京都荒川区立 瑞光小学校6年生のみなさん
2009/06/18
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  授業の感想
秋田県潟上市立 東湖小学校4年生のみなさん
2009/04/01
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  授業の感想
東京都赤坂区立 赤坂小学校2年生のみなさん
2009/04/01
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  講義の感想
ダイワJFS・青少年サステナビリティ・カレッジのみなさん
2008/12/18
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  授業の感想
石岡市立 石岡小学校4年生のみなさん
2008/12/16
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  授業の感想
   龍ヶ崎市立 八原小学校4年生のみなさん
2008/08/06
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  講義の感想
慶応義塾大学 総合政策学部 環境情報学部のみなさん
2008/06/17
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  飯島さんへ
潮来小学校4年生のみなさん
2006/11/13
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  授業の感想
栃木県立栃木女子高等学校2年生のみなさん
2005/09/09
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  総合学習授業の感想
土浦市立土浦第一中学校1年生のみなさん
2004/11/24
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  特別講義:B-LIFE21寄付講座の受講感想
明治大学経営学部のみなさん
2004/11/24
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  総合学習の感想
龍ヶ崎市立城西中学校1年生のみなさん
2004/09/30
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  総合学習の感想
牛久市立下根中学校1年生のみなさん
2004/09/30
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  授業「霞ヶ浦について」感想
小川高校のみなさん
2004/09/30
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  カッパの授業
西村 静江さん
2004/09/30
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  黄色のお花見
勝 真理子さん
2004/09/30
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秋田、八郎がたに自然を取り戻すために

八郎がたのスーパースター 八郎太郎(はちろうたろう)!大きな竜の物語

きみには、好きな物語がありますか。きみは物語を読んで感動したことがありますか。物語には、人々に夢や勇気をあたえる力があります。

秋田県では、かんきょうがわるくなってしまった八郎がたを物語の力で良くしようとしている子どもたちがいます。八郎がたでは、昔のような自然がゆたかできれいな水の湖にとりもどすためにさまざまなとりくみがおこなわれてきましたが、なかなかうまくいきませんでした。多くの大人たちがあきらめかけていたときに、子どもたちが昔八郎がたにいた大切な生きもののことを思い出しました。それは湖に住んでいた大きな竜の物語の主人公、八郎太郎(はちろうたろう)です。

八郎太郎がいたころの湖は、水もきれいで、自然も豊かでした。「そうだ!八郎太郎をよびもどすことができれば、きれいな水も豊かな自然ももどってくるかもしれない!」そこで、秋田の子どもたちは、八郎がたに竜をよびもどす物語を作りはじめました。

出前授業の記録映像

八郎がたは、日本で2番目に大きな湖でした

八郎がたは、日本で2番目に大きな湖でした。平均の深さが4mととても浅い湖でした。八郎がたには、海からはしょっぱい水が、川からは真水(しょっぱくない水)が流れこんでいました。だから、海の魚も川の魚もいっぱいいました。それはそれは自然の豊かな湖でした。

昔は、八郎がたの水はすきとおっていて、中をのぞくと水のそこからはモグという水草がたくさんはえていて、そこには魚やエビなどがいっぱい住んでいました。モグというのは、水の底に根をはり、水の中でゆらゆらしている水草のことです。八郎がたは、モグがたくさん生えている湖で有名で、まわりに住んでいる人がモグをとってきて畑の肥料につかったり、かわかして綿(わた)のかわりにおふとんにつめたり、いろいろと利用していました。

八郎がたでとれたシジミやワカサギやシラウオは、つくだにに加工されて全国に出荷されるほど人気でした。八郎がたでは、人や生きもの、水などさまざまなものがつながりあってくらしていました。地域の人は、八郎がたをとても大切に、ほこりに思ってくらしていました。そして、大人は子どもに大きな竜・八郎太郎の物語を語りながら伝えていきました。

八郎がたでは「うたせぶね」という船を使って漁をしましたが、これはかすみがうらから伝わったものです。他にも、海に近いことや、広くて浅いことや、魚がたくさんとれた湖だったことなど、八郎がたとかすみがうらはよく似ています。そして今では、八郎がたはかすみがうらと同じように水のよごれやかんきょうが悪くなるなどの問題が起きています。

ひとびとが竜の物語をわすれてしまいました

八郎がたにゆたかな自然ときれいな水があったころには、竜も物語も元気に生きていました。<八郎太郎物語(リンク)>

八郎太郎は、八郎がたでたくさんの生きものといっしょに幸せにくらしていたそうです。地域の人々は、そんな八郎太郎を八郎がたと同じくらいとても大切にしていました。だから、今でも八郎がたのまわりには八郎太郎をまつる神社(じんじゃ)やほこらが多くあるのです。八郎太郎の物語は大人から子どもへと伝えられていきました。ところが、湖から自然が失われ水がよごれ、人々はだんだんと竜のことも物語のことも忘れてしまいました。

八郎がたは干拓されて、八郎湖になりました

多くの人々が竜や物語を忘れてしまうきっかけを作ったのは、湖の干拓(かんたく)工事でした。第二次世界大戦が終わった後、八郎がたでは干拓(かんたく)の工事がおこなわれました。干拓(かんたく)というのは、湖から水をぬいて湖の底を陸地にし、田んぼなどにすることです。八郎がたは干拓され、海と湖の間に水門ができて海からの道がなくなり、淡水(たんすい・海のしょっぱい水が入らない水のこと)の湖になりました。干拓の時に、八郎がたの半分くらいは水辺の自然がこわされてしまい、湖の面積も10分の1くらいに減ってしまいました。名前も「八郎湖」とよばれるようになりました。水はどんどんきたなくなり、最近はアオコが大発生して問題になっています。湖の中にたくさん生えていたモグも今ではほとんどなくなってしまいました。最近はブラックバスなど外国からきた魚がふえてきたために、もともと八郎がたに住んでいたワカサギなどの魚を食べられてしまい減っています。

地域の人々もだんだん八郎がたにも近づかなくなってしまいました。八郎太郎の物語をみんながわすれてしまい、みんなの心の中にいた竜もいなくなってしまいました。

みんなで新しい八郎太郎物語をつくろう!

「昔のような美しい八郎がたをとりもどしたい!」地域の人が立ち上がりました。でも大人の人たちが手をつくしてもなかなか湖はきれいになりません。大人たちがあきらめかけていたときに、大人たちに勇気と希望をあたえてくれたのが、子どもたちでした。子どもたちが作り始めた物語の力が大人たちを動かしたのです。子どもたちは「おかえり八郎太郎物語」という物語をつくりはじめたのです。むかし、八郎太郎がいたころの物語が「八郎太郎物語」でした。でも、八郎太郎が一度いなくなってしまったので、今度は八郎太郎が帰ってくる物語がひつようです。「これからは八郎太郎をよびもどす未来の物語『おかえり八郎太郎物語』をつくろう!」と、2004年から八郎がたのまわりでアサザプロジェクトをお手本にした取り組みが始まりました。子どもたちは考えました。八郎太郎にもどって来てもらうには、どうしたらいいのだろう。まず、八郎太郎と一緒にくらしていた生きものたちをよびもどそう。生きものとお話しする方法を学習して、生きものたちから湖をよくする方法を教えてもらおう。

そして、八郎がたの悪いところだけを見るのではなく、八郎がたのいいところを見つけ出して、そのいいところをもっとふやしていこう。そうすれば、八郎がたもきっとよくなっていくはずだ。おかえり八郎太郎物語の主役は、子どもたちです。子どもたちは、夢やそうぞう力があるからです。そして竜や生きものと友だちになれるからです。この新しい物語づくりには、これまでに1万人以上のこどもたちが参加しています。竜といっしょに生きていた昔の人からも教えてもらいました。

石川理紀之助(りきのすけ)の教えから学ぶ

子どもたちは生きものとお話しする方法を学習することで、生きものたちがその土地の特色をいかしてくらしていることに気づきました。そして、人間も自分たちの土地の特色をよく知り、生かしてくらすことで、自然をこわさずに生きることができるのではと考えるようになりました。

じつは子どもたちと同じことを考えていた人が、昔地元にいたのです。それは、八郎がたの近くで江戸時代から大正時代にかけて生きた、石川理紀之助(りきのすけ)という人でした。多くの人たちからそんけいされた人で、農業だけではなく自然や土地の歴史、人々のくらしなどさまざまな知識や知恵を持っている人でした。石川りきのすけは、特に秋田の貧しい村を救うために力をつくしました。村を救うためには、決まり事をたくさん作るのではなく、村人が自分の村の特色やいいところを学び、いいところをいかした特産品づくりや村づくりをしていくことが必要だと考えていました。そこで石川りきのすけは、『適産調べ(てきさんしらべ)』ということを行いました。適産調べとは、八郎がたのまわりを中心に、自分たちの村をすみずみまで調べて村のとくちょうやいいところを見つけ出し、それらのいいところをいかしてこれからの村をどうしていくのか、村の人たちと計画をたてていくものでした。

石川りきのすけは今から100年近く前に生きた人ですが、りきのすけの取り組みや考え方は、これから八郎がたをよみがえらせていく方法を考えるときにとても参考になります。りきのすけのように、地元を見直すことで、いつもはあたりまえのものだと思っていたものが宝ものに見えてくることがあります。そうです。人々が八郎がたをよみがえらせる宝ものがすぐ足元にねむっていることに気づき、その宝ものをいかしてこれから八郎がたをどうしていけばいいか計画を立てて実行していけば、きっと八郎がたをよみがえらせていくことができるのです。

エッセイ#未完のプロジェクト

子どもたちがはじめた、八郎がたのブランドづくり!「子ども適産調べ」

八郎がたの近くにある大久保小学校(今は、大豊小学校になりました)の4年生の子どもたちは、八郎がたに八郎太郎をよびもどすには、八郎がたの環境にいいもの(たとえば、無農薬のお米やつくだになど)を増やしていくことが必要だということに気づきました。そういうものをもっとたくさんの人に知ってもらったり、買ってもらったりしてもらうためには、その「物」を手に取ってくれた人に物が「語りかける」ようになればいいんだ!つまり「物語」です。物が人々に語りかけるようにするためには、物にま法をかけるひつようがあります。子どもたちは物にま法をかけるために、子どもたちの八郎がたへの想いや願いをこめたシンボルマークを作ることにしました。

 

シンボルマークを作る時には、みんなで何度も話し合いました。そして「多数決はしない!」ということを決めました。多数決をしたら、そこで物語が終わってしまうからです。4年生70人が、それぞれいろんな意見をもっています。その意見がぶつかることもありましたが、その時には2つの意見をどちらもふくまれている新しい考え(アイデア)がうまれました。ひとつのマークができるまでたくさん話し合いました。最後に全員が満足するマークができました。このとき、子どもたちひとりひとりが物語の主人公になっていました。

このマークには、たくさんの想いがつまっています。このマークのテーマは「つながり」です。

シンボルマークロゴ無し

竜も物語も子どもたちの心の中で生きていたのです。だから、子どもたちは物にま法をかけるマークをつくることができたのです。子どもたちの学習はその後もつづきました。5年生になってからは、八郎がたの特産(とくさん)であるつくだににマークのついたシールをはってもらえるように、お店の人にたのみに行きました。シンボルマークの意味を伝えることはなかなかむずかしかったですが、お店の人に想いが伝わり、6年生の時にシンボルマークがはられたつくだにが、道の駅やお店に並びました。子どもたち想いが伝わり、大人たちも動き出しました。2012年には東京の上野駅でも八郎がたを大切に思う人たちが作ったお米や野菜などにシンボルマークを貼って販売しました。東京でも150人をこえる人たちに買ってもらうことができ、物語の輪(わ)がひろがりました。子どもたちが作った物語が本当に人々を動かしたのです。

八郎がたのまわりにあるその他の小学校でも、それぞれの地域の特色を生かして八郎がたの再生を目指す取り組みをおこなっています。そして、新しい物語が次々と生まれています。

このように、子どもたちが主役の八郎がたに竜をよびもどす物語は、たくさんの人の心にひびき、広がっています。物語の力をもっともっと大きくして八郎がたの再生につなげていくために、みなさんもおかえり八郎太郎物語づくりにさんかしませんか。

秋田の子どもたちへ

秋田県は、高齢化(こうれいか)が日本で1番すすんでいる県です。多くの子どもたちが、大人になると秋田を出ていってしまい人口がへっています。八郎がたのまわりの学校に授業に行っても、子どもたちから「秋田には仕事がないから、将来は県外に出るしかない」という言葉をききます。

でも、これまで「おかえり八郎太郎物語」に取り組む子どもたちの活動を読んできてくれた君は気がついてくれたと思います。自分の住んでいる地域のいいところをもっとよく知って、それらのいいところをいかして多くの人々に語りかけるものを作ることができるようになれば、君にも秋田で新しい仕事をつくることができるし、秋田でなければ作れないもので、全国に発信(はっしん)していくことができるのです。そのような若い人たちがふえていけば、秋田県も八郎がたももっと元気になっていくはずです。未来の秋田をつくっていく主人公は君です。がんばってください。

八郎湖と霞ヶ浦の子ども交流会

NEC田んぼ作りプロジェクトwithアサザ基金

2003年から日本電気株式会社(NEC)とアサザ基金と協働で「NEC田んぼ作りプロジェクト」を行っています。

従来から取り組みが困難な課題とされてきた霞ヶ浦流域で、荒廃の進む水源地である谷津田を再生し、くい止めることに初めて取り組んだのが、アサザ基金とNECのこのプロジェクトです。
このプロジェクトは、霞ヶ浦流域の自然再生における先駆的なモデルとなっています。
耕作放棄された谷津田の事前調査から、計画作り、復田作業、米づくり、地場産業と協働による酒造りに取り組んでいます。

nectop

プロジェクトの概要

霞ヶ浦は大きな流入河川が無く、水源地は流域に広がる1000を越える谷津田となっています。
谷津田は、森に育まれた豊富な水が利用できる反面、農業の機械化が進む中で、湿田・深田が多く、生産効率が悪いため、作業がしにくく早くから放置され、その大半が荒廃しています。

necbefore
2003年から石岡市東田中地区で谷津田再生活動を実施、アサザ基金が1996年以降長年構想していた水源地再生のブランド地酒をつくるプロジェクトが実現しました。

そして、2010年には、それまでの経験(3,712㎡)を活かしてより大規模な谷津田全体(22,965㎡)を再生する事業を牛久市上太田地区で着手しました。
当プロジェクトの上太田の谷津田は、耕作放棄され、長いところで40年の年月が経ってしまいました。再生は谷津田1本(谷筋全体)の23反、全長1000mを対象とします。

genba

この谷津田を、トキの生息環境を再生するための実物大モデルとして位置づけ再生します。再生した田んぼで月に1度のトキの餌量調査や、生物調査を実施することで、数値化された効果を元に「再生モデル」をつくり、牛久市内に多数点在する谷津田保全、ひいては霞ヶ浦流域全体の谷津田保全につなげます。

necmeeting
トキが舞う谷津田という霞ヶ浦再生への夢を共有し、農業の機械化が困難な谷津田を、無農薬・無化学肥料の米づくりを行うことによって生物の多様性を高めようと、社員ボランティアが自ら、生物調査をはじめ問題点抽出などの計画の策定、手作業による復田作業、昔ながらの米づくり、地元の酒蔵での酒造りに一貫して参加し、付加価値のある酒米・日本酒づくりを行っています。
「100年後にトキの舞う霞ヶ浦を」という目標を共有し、夢の実現に向けて挑戦し続けています。

プロジェクトの特徴

・NECの本業であるIT分野(気象情報を計測・蓄積・配信するネットワークセンサーを霞ヶ浦の自然再生に活かす、アサザ基金とNECのビジネスモデルづくりを通して始まりました。
・そして、取り組みが困難な課題とされてきた耕作放棄された谷津田に、新しい社会的価値を見いだそうと、IT企業とNPOが連携して初めて挑みました。

NECのHP内 田んぼづくりプロジェクトページ

http://jpn.nec.com/community/ja/environment/tanbo.html
(外部リンク:上記をクリックすると、NECのホームページへ飛びます)

地酒づくりが谷津田を中心に循環することで、谷津田の自然、地元農家、地域企業(酒蔵)に新しい環が生まれ、持続可能な社会システムへと成長しました。この取り組みをモデルに、他の地域にも、同様の取り組みが発展するきっかけを作りました。

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・再生は谷津田1本(谷筋全体)の23反、全長1000mを対象とし、社員ボランティアが自ら、生物調査をはじめ問題点抽出などの計画の策定、手作業による復田作業、昔ながらの米づくり、地元の酒蔵での酒造りに一貫して参加し、付加価値のある酒米・日本酒づくりを行っています。
・社員ボランティアが、さらに経験を重ね、より主体的に再生活動を行っていく、「達人コース」が生まれました。達人コースでは、谷津田を構成する水の湧く森や竹林の整備、試験的な酒米の栽培などを行っています。

プロジェクトの効果

・この取り組みによって、谷津田でも無農薬・無化学肥料で健全な稲がとれることがわかり、里山本来の生き物が帰ってきました。
・社員自らが、耕作放棄地の状態と、復田開始後の四季を通じた生きもの調査を行いました。再生後の谷津田では様々な生きものが見られるようになり、中でもトンボの種類や数に著しく変化が現れました。

アオモンイトトンボ2_sホソミオツネントンボペア_sハグロトンボ1_sアオモンイトトンボ2_s
ノコギリクワガタペアとゴマダラチョウ_sキタテハ_sカブトムシ_sマダラガガンボ_s
ツボスミレ_sコオイムシ_sオオカマキリに食べられるアブラゼミ3_s
ニホンアカガエル_sシュレーゲルアオガエル産卵ペア2_sシュレーゲルアオガエル卵塊2_sトウキョウダルマガエル_s
ニホンアマガエル_sアズマヒキガエルペア産卵接写_sキジ(オス_sカヤネズミ_s

・トキが暮せるだけの豊かな生態系を取り戻すことを目標に、毎月生物量の調査(単位面積あたりの生物量調査)を行っています。その評価をもとに、霞ヶ浦流域単位での生物多様性ビジョンを広げていくことができるようになりました。
・この取り組みを通して、流域の酒造メーカーが日本酒の新たなブランド化へ、道筋をつくることが出来ました。
・のべ9,500人の社員・家族が、谷津田再生の体験を通して、実際に生物が戻ってくる様子を目の当たりにすることは感動的でした。

・参加者が普段食べているお米を実際につくる活動に参加することで、参加者の生物多様性への意識高まり、景観の復元につながる成果を実感することは、環境意識の向上につながりました。
・参加者の中から達人コース(主体的に谷津田再生の取り組みを推進する人材)の育成にも発展しました。
・活動のつながりが、地元の酒蔵や、知的障害者授産施設など、他の企業へ広がりました。

プロジェクトの活動内容

<計画の策定>
まず荒廃した谷津田が、どのような問題を抱えているのか調べます。実態評価、生物調査、荒廃した谷津田の問題点の抽出といったプロセスを経て、1000mにもわたる谷津田全体をどのように再生していくのか長期計画を立てました。そして、以下の作業に取り組みながら、継続的なモニタリングも実施して行きます。
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<復田作業>
復田作業は、社員ボランティアの人海戦術で取り組みます。
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<米づくり>
種籾、育苗から無農薬にこだわります。そして、手作業での田植え、人力での草取り作業を行います。草取り後に鑑賞できるヘイケボタルは、守り続けてきた谷津田再生の証でもあります。稲刈りや脱穀も手作業です。昔ながらの道具を用いた脱穀作業は、大変ですが楽しい収穫の一時です。
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<里山の整備>
谷津田周辺の森林荒廃が進みつつあります。そこで、竹林や雑木林の整備も併せて行います。谷津田に連続した環境である森林の保全も生物多様性の視点で取り組んでいます。
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<トキのえさ量調査>
100年後にトキが舞う谷津田を目標にし、トキが生息できる環境にどのくらい近づいているか、単位面積あたりの生物量を継続して調査しています。
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<酒仕込み、蔵出し>
地元白菊酒蔵の酒造りで、社員自らも体験しながら仕込み「愛酊de笑呼」が完成します。また、瓶詰め後のいくつかの作業は、知的障害者授産施設「あけぼの荘」に委託しています。
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それでは、具体的な活動を見てみましょう!現在の田んぼの様子
 

プロジェクトとアサザプロジェクトの位置づけ

地域活性化
一度は価値が失われ耕作放棄された谷津田に、地域、企業、NPOが協働することで、新しい価値を創造する最初の事業になった。

企業との協働
アサザプロジェクトが展開する霞ヶ浦流域レベルのネットワークを活かした技術展開(ネットワークセンサー)を、NECと共同開発する取り組みから、水源地である谷津田の保全システムの構築に発展した。

環境教育
普段、都会で働くNEC社員が、事前調査・計画の策定・復田・米づくり・地酒造りという価値創造的な取り組みの全プロセスを体験する。環境意識が啓発され再生現場で得た新たな発想が生まれ、新たな視点の技術開発に繋がる。

循環型社会
地域に根ざした伝統的循環型社会を代表する谷津田の再生を通して、IT企業と共に伝統を活かした循環型社会の構築を行うことが出来る。

社会を変える
大手企業とNPO、地場産業がそれぞれの持ち味を活かしながら協働し、環境保全や地場産業振興を進めることで、解決が困難とされていた環境問題への解決策を示すことが出来た。先進的な取り組みとして、社会にも大きなインパクトを与え続けている。

自然再生・生物多様性
一本の荒廃した谷津田全体を再生対象とした、生物多様性保全の実物大モデルとなる。このモデルを、流域全体の谷津田再生に広げていくことで、霞ヶ浦の生態系を保全し、トキが普通に見られる環境を目指している。

トキの住む鹿嶋市を目指して

こどもと大人の協働のまちづくり

鹿嶋市では、子ども達の提案による谷津田再生プロジェクトが始まっています!

かつて、鹿島神宮の森と谷津田と湖はつながっていました。しかし現在、市街化によって緑地の面積が減少し、神宮の森と谷津田が分断され、谷津田は荒れ果てています。

そんな荒れている谷津田の再生しようと立ち上がったのは、鹿嶋市立豊郷小学校の子どもたちです。2006年度の1年間、豊郷小5年生の子どもたちは北浦への水草の植付けや湖の生物調査、また谷津田での生物調査を行い、水源地再生プランを作成し、そのプランを地域の大人たちに提案しました!
それは、荒れている谷津田を生きものが湧き出る田んぼに再生し、その田んぼでトキやコウノトリが餌を取り、鹿島神宮の大木に巣をかけることを目標とするプランです。地域の大人たちもこの提案を受け、下草刈りや枝払いなどを行い、谷津田再生に協力。2007年度の春、子どもたちの提案が実現し、田んぼでお米づくりが始まりました。

《再生前》
再生前
《再生後》
再生後

豊富に湧き出る湧き水を利用してお米づくりをしています。

田植え
田植え
稲刈り
稲刈り
脱穀
脱穀
生きもの観察
生きもの観察

これまでの動き

水源地が再生するまでの経緯と今までの活動を紹介します。

《2006年度》 子ども達は北浦での自然再生や水源地の調査に取り組んできました。

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その経験を踏まえて、地域の方々に向けて生きものが湧き出る水源地再生の提案発表をしました。(2007年3月14日)

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その提案に賛成してくれた地域の方々と一緒に、子どもたちは荒れてしまった谷津田の草刈りをしました。

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とうとう田んぼが再生!子ども達の提案が実現しました!!
再生した谷津田で、人にも生きものにも嬉しい米づくりが始まりました。

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この取り組みに賛同してくれた東京の企業さん(USB証券会社)もボランティアとして参加してくださいました。

今現在も子ども達が先輩達のあとを引き継いで、湖の活動や水源地での活動を行っています。子ども達の取り組みに感銘を受けた大人たちも続々と活動に参加してくれています。
今後の取り組みが楽しみです。

皆さん楽しみにしていてください。

マメ知識

かつて鹿島神宮と谷津田が一体であったことは、なんと1000年以上の昔に書かれた『常陸国風土記』にも記されています!
この書から、当時の谷津田の様子や、昔は人間と自然が共存して暮していたことなどもわかります。

※常陸国風土記(ひたちのくにふどき)
 ・・・奈良時代初期の713年に編纂された常陸の国(茨城県の大部分)の地誌

牛久第二小学校(4年生)

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 学校の周りを生きものになったつもり で調べたら、学校の近くにある谷津田 は牛久沼につながる生きものの道だと いうことがわかりました。

 どうしたらもっとたくさんの生きもの が学校やビオトープに来ることができ るかをみんなで考えています。

 

 

主な取り組みの様子

2013年5月17日 プールの生きものとお話しよう!

■2006・2007年の活動記録

2013年5月17日 プールの生きものとお話しよう!

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今日は牛久二小の4年生の授業に行ってきました。今回の授業は1・2限続けての授業で、1限目には生きものとお話するために「体のつくり」や「すみか」、「くらし」について学びました。2限目には、学校のプールに行き、さきほど学んだ生きものとお話しするためのポイントを意識して、ヤゴをつかまえて観察しました。アキアカネ、ショウジョウトンボ、シオカラトンボ、ギンヤンマのヤゴが見つかって、子どもたちは大喜び!種類によって体のつくりも少しずつ違いがあることを、スケッチしながら発見できたと思います。(牧野)

『人と河童が出会うまちづくり』にもどる

人と河童が出会うまちづくり

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牛久市内の全小中学校の子どもたちは、2004年から「河童の道」をつないでいく取り組み「人と河童が出会うまちづくり」を行っています。子どもたちは、先輩たちが調べたり提案したりしたことを参考にして、まちに「河童の道」を広げています。学校で学んだことを、本当のまちづくりに活かしています。
子どもたちの提案は、多くの大人たちを動かしています。子ども達の提案する「まちづくり」に、たくさんの地域の人達が協力してくれるようになりました。子どもたちの夢はいろんな人を結びつけながらどんどん広がっているのです。
牛久で始まった、子どもも大人も生きものも喜ぶまちづくり。地域環境を守るための大きな大一歩にもなるのです。
さあ、みんなの意見を伝え合って、まちづくりの輪を広げていきましょう!!

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牛久沼水系 霞ヶ浦水系
1.第二小学校 6.神谷小学校 11.奥野小学校
2.第三中学校 7.第一中学校 12.第二中学校
3.牛久小学校 8.中根小学校 13.ひたち野うしく小学校
4.向台小学校 9.下根中学校
5.牛久南中学校 10.岡田小学校

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牛久市教育委員会
牛久市役所
RESTEC
文部科学省
森林総合研究所 環境計画研究室 香川隆英室長
ESRIジャパン
立教大学異文化コミュニケーション研究科