2001年10月19日
NPO法人アサザ基金
代表理事 飯島 博

0.はじめに

 野生生物との共存は地域社会の再構築を抜きには実現できない。社会の再構築は地域に新たな価値観に基づく新しい人のつながりやモノの流れを生み出し、地域を活性化させることで実現する。地域の人々が本気で野生生物や自然との共存を目指した取組を始めることができれば、そこには必ず地域の自発的な発展が芽生えるはずである。
 野生生物との共存を可能にする社会の構築には、産業や教育といった地域に広がる社会システムに環境保全機能を組み込むことで、生息地の連続性や生態系の物質循環、水循環を意識した人やモノやお金の動きを作り出し、地域に則した循環型社会を構築していく戦略が必要となる。野生生物との共存は、上記の戦略に基づいて構築される人的社会的ネットワークと自然環境のネットワークが重なり合ったときに実現すると考える。
 また、それらのネットワークの構築には、縦割り化した行政施策を総合化する市民活動の役割が不可欠である。ただし、それには行政活動を補完するものという市民活動に対する既成概念を捨て、市民活動に地域を総合化する要としての役割を見出すことが求められる。
 わたしたちは、上記の戦略に基づいて国内で2番目に大きな湖沼である霞ヶ浦の流域に野生生物との共存可能な循環型社会を構築するための取組を、1995年から行っている。 この取組「湖と森と人を結ぶ霞ヶ浦再生事業・アサザプロジェクト」について紹介する。

1.市民による公共事業~アサザプロジェクト

 「アサザプロジェクト」は、湖と流域全域を視野に入れた環境保全、再生活動で、流域の市民団体、漁協、森林組合、企業、行政、学校などが参加した広域ネットワークによって担われている。このプロジェクトの特色は、流域の様々な社会活動(産業や教育など)に、環境保全のシステムを浸透させることで、広大な流域全体を覆う取り組みに発展させようとするところにある。  いま市民活動には、空洞化した縦割り社会の中で様々な分野を共通の課題で結び付け、総合化する主体としての役割が求められている。アサザプロジェクトは、1998年版環境白書で「源流から湖まで住民によるトータルできめ細かな流域管理をめざす、地域の多様な分野を結ぶ協働型事業」として紹介された。
 現在この取り組みは確実に広がりつつあり、開始(1995年)以来流域の住民8万3千人、170校の小学校(流域の9割以上)が参加している。取り組みの広がりと共に、従来個別に実施されてきた事業や施策にも連携が生まれ、例えば地域で実施される公共事業にもこれまでにない効果が生まれている。アサザプロジェクトは、霞ヶ浦に豊かな自然を取り戻し、持続可能な社会を構築することを目標とした誰もが何時でも参加できる「市民による公共事業」である。

2.自然の働きを生かした公共事業

 アサザプロジェクトは、湖が持っている自然の働きを利用することで、湖全域で自然環境の再生を実施する取組である。具体的には湖に自生するアサザ(ミツガシワ科・絶滅危惧Ⅱ類)等の水草群落を使う。アサザは湖面にハート型の葉を無数に浮かべ大きな群落をつくる。アサザの大きな群落ができると、沖合から湖岸に打ち寄せる波の力が群落に吸収され、波が抑えられる。そのため、岸寄りのヨシ原は波による浸食から守られる。同時に、アサザの群落付近には砂が堆積し浅瀬ができるので、ヨシなどの群落が広がることができるようになる。これは、本来水辺の植生帯が持っていた働きである。岸から沖に向かって、多様な水草群落が連続することで、その働きは生まれる。
 アサザプロジェクトは力ずくで「自然を復元する」のではない。湖自身が再生する力、つまり自然治癒力を引き出すというやり方である。確かに、この方法ではヨシ原の再生にもある程度の時間がかかる。しかし、湖全域を徐々に、だが確実に再生させていくことができる。
 また、アサザを使った湖の再生事業には、湖全域で誰もが参加できる。湖に植え付けるアサザを育てる里親制度は、小学校を中心に流域全域に広がった。アサザプロジェクトの特色のひとつは、環境再生事業と環境教育が一体化していることにある。小学校を各地域での拠点にすることで、「霞ヶ浦再生」という夢の実現に向けて子どもと大人が共に取り組みながら、地域ぐるみで子ども達を育てる環境を作り上げている。持続可能な社会を構築する上で未来の人づくりが重要である。湖全域で事業を展開するためには、事業に誰もが何時でも参加できることが条件となる。
 わたしたちは、この取組を行政による大規模な土木工事によって造る石積みやコンクリートの波消し施設の対案として示した。市民による公共事業である。

3.里山の再生に必要な「循環し展開する事業」

 社会に循環を生み出すためには、個々の取組や技術が自己完結しないことが重要である。取組が取組を連鎖的に生み出しながら、ネットワークが生成されるような展開が必要となる。それにより、公共事業も分野の境界を越え地域全体に波及効果を及ぼすことができるようになる。
 霞ヶ浦では現在各地の市民や学校によるアサザの植え付け会が行われているが、自然環境が悪化してしまった湖にアサザ群落を再生させるのは、そう簡単ではない。湖では護岸の影響で波が荒く、アサザを植え付けても根が十分に張る前に流されてしまうことが多い。アサザが十分な群落を形成するまでの間、沖からの波を和らげるための処置が必要となった。
 そこで、着目したのが伝統河川工法「粗朶沈床」(粗朶消波堤)である。粗朶消波堤は、湖底に丸太を打ち込み、枠を組んで、その中に雑木の枝を束ねた粗朶を詰め込んで造る。粗朶消波堤の材料に流域の間伐材や雑木を使えば、流域の森林保全活動を湖の再生と同時に行うことができる。粗朶消波堤の実施を契機に、アサザプロジェクトは水源を含めた流域全体を視野に入れた取組へと発展した。
 霞ヶ浦流域の森林面積は、流域全体の二割にまで減少している。このまま森林の減少や荒廃を放置すれば、湖の健全な水循環を維持することが困難となる。流域全体を視野に入れた森林保全の実施が急務である。現在、国土交通省霞ヶ浦工事事務所はわたしたちの提案を受けて湖岸植生帯の保全復元事業を行い、その中で粗朶粗朶消波堤の設置を大規模に実施している。これにより、流域全体を視野に入れた森林管理ができる可能性が生まれた。
 現在この取組は、林野庁も連携して進められている。省庁間の垣根を越えた事業を、NPOが核となって進めつつある。

4.循環し展開する事業が新しい産業を生み出す

 粗朶消波堤の採用によって、流域の森林組合から間伐材(スギやヒノキなど針葉樹)を供給する体制をつくることができたが、粗朶(雑木の枝)を供給することはできなかった。粗朶は流域の雑木林(落葉広葉樹林)を管理することで、生産される。しかし、流域の雑木林は使われなくなってから三十年以上も経っていてどこも荒れ放題である。雑木林を利用する暮らしや産業もなくなって久しい。
 流域の雑木林から粗朶を供給するためには、新しく産業(地域との結び付き)を生み出すしかない。流域の雑木林の手入れを行い、その時に発生する雑木の枝を集めて粗朶をつくり湖の再生事業(粗朶消波堤)に供給する産業が必要である。そこで、これまでアサザプロジェクトに参加してきた様々な自営業者や企業に呼びかけて、(有)霞ヶ浦粗朶組合を結成することになった。環境再生事業がきっかけで流域に新しい産業が生まれたのである。これによって、環境保全以外にも雇用の創出など社会的効果も生まれている。
 これまでにも、行政や市民団体によって流域の森林保全活動は行われてきたが、いずれも特定の区域を対象としたものに限定され、流域全体を視野に入れた広がりのある保全にはほど遠い状況であった。しかし、(有)霞ヶ浦粗朶組合のような新しい産業と連携することで、森林保全の取組がこれまでの「点」から、流域全体を被う「面」へと展開できるようになった。環境保全の取組を流域全体で展開しようとするときに、地域に広がりを持つ産業との連携は不可欠である。(有)霞ヶ浦粗朶組合では、生物多様性保全や水源保全を軸に森林管理を行いながら粗朶を生産している。
 アサザプロジェクトはこの他にも、漁協と共同で行うヨシ原再生事業や、農家と連携した休耕田を利用したビオトープつくり、学校ビオトープネットワークによる流域管理、市町村や国土交通省と連携した流入河川の自然復元事業など、多様な取り組みを各地で展開している。
 さらに、霞ヶ浦とならぶ関東の2大湿地「渡良瀬遊水池」を再生する「わたらせ未来プロジェクト」が始まり、2つの湿地の連携によって将来コウノトリやトキの生息地を連携させていく計画も進められている。わたらせ未来プロジェクトでは、遊水池のヨシを上流の足尾山地の森林再生事業に活用する提案を行っている。ここでも、公共事業(森林再生・治山)と地場産業(ヨシズ業)とを連携させて、上下流を一体化した環境再生事業と地域の活性化を同時に実現しようとしている。

5.社会システムでトキを受け入れる~持続可能な社会をつくる100年計画

 アサザプロジェクトでは湖の自然を取り戻すのも、社会を変革するのも、力ずくではない。それは社会に緩やかではあるが深い変革をもたらす取組である。その戦略は地域に根ざした既存の社会システムに環境保全機能を組み込み面として広がる取組をつくり、同時にそれぞれの組織に全体との結び付きを意識させることでその質的転換を促す。また、環境保全の視点から既存のシステムの中に新しい価値を見出し、その価値を環境保全を軸につくる新しい関係性(ネットワーク)の中で社会に根付かせる。それにより、社会はその地域の自然をモチーフに再構築されることになる。
 したがって、トキなどの野生生物との共存は、地域の「生物多様性の保全」と「健全な生態系の維持」を支える構造(構成要素や関係性)を明らかにする研究と、その構造を社会というカンバスに社会的要素をもって再構成するという、保全生態学の理論構築と社会システムの再構築を双方向的な思考で進める、創造的な取組である。
 自然保護や環境保全も、規制や制限を求めるだけでは、人々に主体的な行動を喚起することは難しい。だから、わたしは自然保護や環境保全は本来創造的な取組であると考えている。それらの取組は、新しい文化や社会、技術、価値、さらには「人間の生き方」を生み出すものでなければ、個人を核にした(多様な価値観に基づく)現代社会には浸透していかないからだ。アサザプロジェクトはそのような創造的な取組として提案した。
 さらに重要なことは、100年後の破滅的シナリオを回避するためには、100年後の再生のシナリオが必要だと言うことである。人々が主体的に行動するためには、「破滅しないという目標」よりも、「再生するという目標」が必要だと考えるからだ。
 そのためには、環境が再生され持続可能な社会が構築されていく過程を、具体的にイメージできる形(野生生物の復帰)で人々に示していく必要がある。もちろん、これは単なる夢や希望ではない。科学的で政策的な裏付けが必要である。
 アサザプロジェクトは100年間の長期計画である。10年ごとの達成目標を具体的な野生生物に設定している。それぞれの生物は湖と流域に再生する環境要素とそのために必要な施策を総合化するものとして示した。10年後にオオヨシキリ、20年後にカッコウやオオハクチョウ、30年後にオオヒシクイ、40年後にコウノトリ、50年後にツル、そして、100年後の目標は、トキである。日本の近代化100年の中で滅ぼしたトキを、次の100年で復活させる計画である。長期計画であるがゆえに、取組の各段階でモニタリング(科学的検証)を行いながら、柔軟に対応していく手法(順応的管理 adaptive management)の確立をめざしている。

6.地域の自発的な発展がトキとの共存を実現させる

 よく「何十年前の生活に戻さなければトキとの共存は不可能だ」といった声を聞くことがある。トキを野生に戻すには、トキが野生でいた当時の環境を知ることは重要である。しかし、わたしはこの主張は誤りだと思う。なぜなら、わたしたちは過去の人々の生き方を演じて生きることはできないからだ。人々はその時代その時代の中で、地域をつくり持続させてきた。そして、わたしたちはその蓄積の上に生きている。
 地域は履歴(過去の蓄積)をもった存在である。トキとの共存も、過去の蓄積の中に眠っている。しかし、過去を模した関係の中で、地域に蓄積された過去を現代に生かすことはできない。過去を模した関係はわたしたちの日常から隔離された閉じられた条件(トキの放し飼い)でしか具現化しないからだ。
 里山の生物は、人間の働きかけの及ばぬ空白部分を求め、偶然に生き残ってきたわけではない。里山では、野生生物の生息空間と人間の生活空間は重なり合っていた。里山では人間と自然との関係性の集積(里山文化)の上に、野生生物に必要な広がりのある生息環境は維持されてきたといえる。今日見られる里山の野生生物の危機的状況の背景には、人間の働きかけの及ばぬ空白部分(荒廃した雑木林や棚田など)の増加がある。
 トキと共存するためには広がりのある生息環境が必要だ。したがって、それはわたしたちの日常という広がりをもった空間時間との関係性を抜きには実現しない。地域に蓄積された過去を生かすには、今を生きるわたしたちが履歴をもった場所(トキの生息地)との結び付きを、日常の中に作り上げていかなければならない。地域に眠る価値を(地域の可能性に目覚めた)新鮮な眼差しで掘り起こすことで、わたしたちは過去の蓄積(履歴)を限定された場所にではなく地域を覆うネットワークの中に生かしていくことができる。それは、地域に生きる(生きようとする)人々自身の手によってはじめて実現されるものだ。
 このように、野生生物(トキ)の野生復帰を目標にすえることで、わたしたちは地域に新たな価値を求め、見慣れた風景に新鮮な眼差しを向けるだろう。人々はトキのいる風景を思い描くことで、目の前の風景をトキの目で見直し、これからその風景と「どのように結び付き」、それぞれの風景を「どのように結び付けるか」を考える。それにより、人々は地域に一体感を取り戻し、地域に根ざした自発的な発展への意欲に目覚めるに違いない。
 新たな価値を見出すことなく、一度つながりを失ったもの同士を、再び結び付けることはできない。野生生物との共存という新たな価値観に基づいて社会システムの再構築が行われることで、今まで結び付きのなかったもの同士が結び付き地域に一体感が生まれる。そして、そこには新たな人の動きとモノの動きが生じる。わたしたちがしなければならないこと、それは、単にトキの住める場所をどこかにつくることではない。それは、社会システムでトキを受け入れることに他ならない。
 わたしはトキの野生復帰は、地域に新しい価値を見い出し地域のそれぞれの場所や人を結び付ける創造的な取組と、その取組によって生まれる地域経済や社会活動の活性化(地域に根ざした発展)を通して実現するものと考える。発展とは持続可能な循環型社会の実現に向けた社会の動きである。
 トキの野生復帰にはあくまで前向きな取組が求められる。言い換えれば、トキの野生復帰を目標にするということは、地域の人々が未来に展望をもって生きるということに他ならない。トキの野生復帰は、つまり人々に創造的な生き方を促さずにはいない。

参考文献
飯島博(2000) 創造的自然保護のすすめ.遺伝2000年4月号.裳華房
飯島博(2000) 自然保護のための市民型公共事業」環境と公害.2000年4月号、岩波書店
桑子敏雄(1999) 環境の哲学~日本思想を現代に活かす,講談社学術文庫
鷲谷いづみ・飯島博(1999) よみがえれアサザ咲く水辺-霞ヶ浦からの挑戦.文一総合出版
鷲谷いづみ(2001) 生態系を蘇らせる,NHKブックス,日本放送出版協会

この講演要旨は、「トキを軸にした島づくり」シンポジウム於佐渡(2001.10.19)主催 環境省・新潟県に一部加筆したものです。

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