混沌とした現代に風穴を開けるのは、NPOという新しいカタチかもしれない

LINK CLUB 事務局「Link Club Newsletter」2003年4月号
インタビュアー 倉田楽
NPO法人アサザ基金 代表理事 飯島 博

0.はじめに

 国内で設立認証を受けたNPO法人が、本年2月末に1万を突破した。NPOと聞くと、いわゆる”ボランティア活動”的なイメージを抱くかもしれない。しかし、欧米で活発化し、大きな成功を収めているNPOは、むしろ”起業”の形に近いものも多い。「利益を追求しない」という前提が、行政も企業も解決不可能だった問題に、画期的なソリューションをもたらすのだ。ネットワーク型・起業型のNPOとして、日本で確実な成果を上げ、注目されているNPO法人に「アサザ基金」がある。100年という長い視野で、地域に根づいた環境保全活動を行うこのプロジェクトの代表理事、飯島博さんに、NPOの新しい形についてお聞きした。

1.「NPOは枠組みを腕力で壊すのではなく、溶かしてしまうのです。」

―― まず、日本及び世界の中でのNPOのあり方をお話しください。
(飯島) 社会を作り上げていく、あるいは維持していくためには二つの主体があると思います。ひとつは行政、もうひとつは企業です。行政はそれぞれ専門分化した中で縦割りのシステムの中で、法律に基づいた厳格な、しかも平等性をきちん維持した上での社会作りをしていく主体です。今日の社会で専門分化が進んでいるということは、行政の中では縦割りが進んでいるということですね。そうすると社会は硬直化して動きがなくなってしまう。行政に依存した社会が作られる。それは官主導の社会ですね。
 もうひとつの主体である企業は、独自のアイデアでどんどん自社の産業を、商品戦略を持って事業を展開していきます。企業は平等性とは異なる視点で、自分たちの会社に最大限の利益を回収していく。(つまりお金の流れは点と点と結ぶ線に限定される。)それがまた次の投資や戦略に結びつき、社会に大きな活力を与えている。でも、企業には制約があります。最大限自分たちの利益を回収していかなければならないわけです。ですから組織が肥大化していきますよね。いま説明した二つの主体、つまり行政と企業だけで社会が本当に活力を持って、かつ健全に運営できるのかというと、なかなかそうではない。だから新たな主体としてのNPOという存在が注目されているのです。
 では、NPOは何をするのか、何ができるのか。そういった問いの答えとして、大きな二つの分かれ道があるのです 。行政は肥大化し、いろんなところで機能不全をおこしている。ひとつはその機能不全をおこしている行政システムを温存、現状維持させるために少ないお金でも頑張ってくれる人たちとしてのNPOという選択。もうひとつは行政や企業とは異なる選択、要するにみんなが得をする、業を起こす起業家としてのNPOが必要だという見方です(つまり、新たな循環を生み出して血行を良くして機能を回復させる選択)。NPOの選択肢はこの二つです。後者は企業としの要素もあるし、行政としての要素も持っている新たな主体としてのNPOです。これはボランティア団体でもないし、行政の下請けでもないし、企業の下請けでもない。既存の企業が手をつけて来なかった産業も含めたまったく新たな戦略を持って業を起こしつつ、かつ平等性も確保していく。行政が実現できなくなってしまった平等性を、環境や社会参加、福祉といった平等性を確保するための新たな戦略を持ったNPOです。「アサザ基金」は後者にあたります。
―― 日本のNPOは、海外と比較するといかがですか?
(飯島) 「アサザプロジェクト」にはたとえば海外からNPOの人たちが視察に来るし、国際的なシンポジウムに呼ばれることもあるんですが、僕らのプロジェクトの内容、取組にびっくりされることが多いのです。社会的ネットワークと自然環境のネットワークが重なりあって、長期的な計画で進める市民型公共事業は欧米にはあまり例がないんです。自然と共生するという発想がアジア的なのかもしれませんね。一方、NPOを支援する制度は欧米の方が進んでいて、明らかに日本は10年、20年は遅れています。NPOの社会的な位置づけがそうなのです。考えてみたら、支援という言い方もおかしいんですね、起業と同じですから。(これは広い意味の投資です。)
―― そこで市民による自然環境の再生を実施する取組が始まったわけですね?
(飯島) 「アサザ基金」の特徴は枠組、つまり縄張りを持たないから既存の社会システムを自由に使いこなせるということがあります。たとえば学校があって学区がある。子供たちが歩く範囲で設置された学区は、教育の機会均等によって流域にくまなく広がっています。僕らは生態学的な機能を見て、これでもって流域全体をネットワーク化して、学校にビオトープという池を作って、ビオトープに集まる生き物たちを調べることを通して学区内の環境の変化、自然の豊かさを把握していくわけです。
 いま学校と学校とを結ぶITの整備が進んでいるから、たとえばメーリングリストですべてのデータを共有することができる。そこに私たちと共同研究を進める大学や国の研究機関が参加しています。そうするとほとんど設備投資がなく、実際に文部科学省が進めている授業と重なる形で、新たな事業を起こすことなく、広大な2,200平方キロメートルある、43市町村に及ぶ地域の環境情報をすべてキャッチできる、集約できる。しかも分析できる、かつ無料でモニタリングをしてくれる。生物情報を集めてくれる。モニターが各学校、各地点に100人ずついるわけです。ほとんど見逃さずに生物を把握できる。専門家や研究機関が何億、何十億かけても絶対できないシステムが1年でできるわけです。これはNPOじゃないとできない。企業が入ったらできないですよ。
 「アサザプロジェクト」には未来のビジョンがあります。再生する目標、100年間の長期計画です。10年ごとの達成目標を具体的な野生生物に設定しています。10年後にオオヨシキリ、20年後にカッコウやオオハクチョウ、そして100年後の目標はトキです。日本近代化の100年の中で滅びたトキを、次の100年で復活させる計画なのです。
―― 戦略を持つNPOが求められているということですね?
(飯島) 僕の考えていることのメインは社会の活性化です。行政は縦割りになっていると言いましたが、では、企業はどうなのかといえばこれも完全なセクショナリズムに貫かれています。専門分化した中で産業戦略を作っています。そういったセクショナリズムを超えた戦略を僕は「ネットワーク戦略」と呼んでいます。「アサザプロジェクト」は新しいネットワークの構築をしている取組であり、最近は生態学や自然保護にかかわる人たち以上に経済や産業関連の人たちの関心が高いのです。特徴は中心に組織がないことです。
 どこへ行っても「アサザプロジェクト」のようなものを作りたい、学びたいということを耳にします。また、「どうしてこんなにうまくいくんだ?」というようなことを質問されます。「アサザプロジェクト」との大きな違いは、聴いてくれる方々、行政の人も企業の人もNPO団体の人もみんな同じですが、センターを作ろうとしていることですね。そして自分たちがセンターになろうとしている。全体を総合化する概念を持った、戦略を持った、理論を持った人たちが中心にいて、そこから全体にその概念を浸透させていく。要するにピラミッド型の、20世紀型の発想ですよね。あるところに力や情報を集中して、そこから全体に広げていく。下側の人に行くにつれて主体性がないわけですよ。だから活力が生まれてこない。国も県も我々のような枠組を持たない独自のネットワークを組めなかったし、広大な地域の総合的な環境政策を実現できなかった。
 一方、「アサザプロジェクト」では労力を使わず、小さな組織、事務所で流域管理という、今まで行政がまったく手が出せなかった総合的なネットワーク型の政策が実行できた。その理由は、中心のないネットワークが生まれたからなのです。コンピュータのネットワーク社会の発想と同じなのです。
―― 「アサザプロジェクト」の発想の基礎は、インターネットの世界にあったということですか?
(飯島) そうではないんです。僕自身はコンピュータ社会やネットワーク社会にそれほど興味をもっていなかった。でも、情報は入ってきますよね。時代的なひとつの意識だと思うんです。時代の変革期には、異なる分野で同じことを考え始める。世界中で同時にパラダイムシフトが起きているわけです。僕は自然保護をやっている中で、社会の再構築をしていく必要があるというところに行き着いたわけです。いろんな人に説明したりしていく中で、コンピュータ社会、ネットワーク型社会と呼ばれるものと発想が非常によく似ている、戦略としてはほとんど同じではないかな、と思いました。
―― そういった意味では「アサザプロジェクト」はとても現代的ですね?
(飯島) そうですね。僕らのプロジェクトは情報ネットワーク型社会に支えられています。それがなければ国と拮抗できません。現在、国土交通省と対等につきあっているわけです。昔だったらできませんね。情報ネットワーク型社会の上に、同じような発想で独自のネットワークを持っているからできるのです。人間の本質的な部分と情報ネットワーク型社会の構築が「アサザプロジェクト」ではかみ合っていているわけです。
 「アサザプロジェクト」では「協働の場」というコラボレーションの場を中心に置いて、その上に「アサザ基金」というNPO法人がいる。僕たちはここから斬新なアイデアと発想、総合的な戦略を「アサザプロジェクト」に常に提供している。そしてそれはみんなに開かれている。誰が使ってもいいわけです。僕は個々の人格を核にした人間のネットワーク型社会にしなければならないと考えました。
 協働の場がみんなの中心にあって、そこにクリエイティブな人たちがいろんなアイデアをどんどん投入していく。それをもってみんなが刺激を受けて、個々の人格がネットワークを組んでいくという社会を作りたい、と。それがないと福祉も実現できないし、いま起っている様々な環境問題もひとり一人が自覚して生き方を変えない限り、これから先の解決の方法はありません。中心のないネットワーク組織の、ネットワークのそれぞれの点が総合化する主体です。では、誰が総合化するのかと言ったら個々の人間。人格を通して総合化していくから、ひとり一人の人間が大事なのです。総合化する主体として個が大事だということを認める社会なら福祉は自ずと実現するし、差別もなくなるのです。
―― 飯島さんが考える、個を重視した創造的な生き方とは何ですか?
(飯島) 新しい生き方に変える、というより、こんな生き方もできるんだなということを見つけ出していくことが創造的なことなのです。企業に働いていても家庭を守っている人たちも含めて、本業や生活の中で実現できて初めて人間が積極的に充実して生きられるわけです。その中でしか環境保全は実現できないわけですよ。法律も作った条約も作った。そこまではできるんですよ。でも、いちばん簡単な「一人ひとりがやって下さいよ」ということができない。そこがネックで、みんなが見落としている部分です。何がそれを促すのかと言えば、創造的な生き方ですよね。創造性を殺さない社会、優れた創造的なものが生まれたらみんなで共有しあう社会。情報ネットワーク型社会ならそれが実現できるわけです。
 僕は「創造的自然保護」というのを何年も前から言っています。自然保護こそ創造的でなければいけないし、本当に自然保護をやりたいのだったら「自然保護」という枠組を自分で壊す必要がある。自然保護行政や環境行政という枠組の中では環境保全や自然保護など実現できません。産業だとか教育だとか、人間の様々な活動分野の中に全部浸透していって初めて実現できるのです。政治家や市民運動にもそれはできない。行政は守るだけ。そうしたら新しい主体が必要でしょう。それはNPOなのです。古臭い枠組みを腕力で壊すのでなくて、溶かしてしまうのです。
―― 今日は貴重なお話しをありがとうございました。

発行 LINK CLUB 事務局  Link Club Newsletter 2003.4/Vol.99 より(括弧部分を加筆しました)。

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