水源地再生に向けた地域ブランドづくり・牛久市立南中学校

牛久市立南中学校の生徒たちは、2010年から学校の近隣にある牛久沼の水源地の再生に取り組み始めました。

水源地は谷津田と呼ばれる森に囲まれた谷間の水田です。古くから稲作が行われてきた場所ですが、機械化や大規模化ができないことから近年耕作が放棄され荒地になっています。

南中の生徒たちは、耕作放棄された谷津田の調査を行ったり、耕作放棄が進んだ背景にある社会の変化などを調べました。また、同じ時期に谷津田の再生をテーマに首都圏から集まり活動していた大学生たち(損保ジャパン環境財団のラーニング生)との交流が始まりました。

中学生と大学生が話し合いを重ね、損保ジャパン環境財団の協力を得ながら、荒廃した水源地の再生事業が始まりました。

水源地再生の取り組みを持続させ普及させていくためには何が必要かを話し合った結果生まれてきたのが、繋がりの輪風せんべいです!

生徒たちの活動を紹介した記事地域ブランド作り

牛久沼の水源地・谷津田の耕作放棄が始まったり、農薬なのどの影響で全国で生物が減少していった当時の社会の変化や人々の生活や価値観の変化などを調べました。時代の大きな変化が起きた時期に、全国の里山から姿を消し絶滅寸前となったトキとコウノトリを、水源地再生の象徴としました。

何十年も放置されていた谷津田の先端部(谷頭)は、ひどい薮になっていましたが、大学生のボランティアが損保ジャパン環境財団の支援を受けて田んぼに戻し始めました。

同じ時期に、アサザ基金との総合学習で地域課題に取り組んでいた南中の生徒たちも、身近にある大きな問題として牛久沼の水源地再生に取り組み始めました。

ここから、大学生と中学生の交流と協働が本格的に動き出しました。

中学生と大学生の協働によって、水源地の田んぼが見事に蘇りました!トンボやカエル、蛍など、昔里山にいた生き物たちも戻ってきました。

生い茂った草を踏み倒していきます。

何度も踏んでいると、だんだん下から泥が上がってきて倒した草が埋もれていきます。一年生は百人以上いたので、機械を使わず、人海戦術で荒れた田んぼを元に戻していく作業を行いました。

田おこしから代掻き、田植え、草取り、稲刈りまで、米づくりを体験しました!

水源地の自然を再生するために、完全無農薬で稲を栽培しました。農薬を使わなかったことで、トンボやクモやカエルなどの天敵が爆発的に増えて、害虫によるイネの被害はありませんでした。これも、大きな発見でした。

刈り取った稲は、オダ掛けにして乾燥させました。

 

収穫した米を生かして、どんなことができそうか。大学生たちと意見交換をしました。

再生した谷津田で収穫された米を使って、大学生と餅つきをしたり、これからの取り組みについて話し合いました。

取り組みの成果を発表し、牛久市に地域ブランドづくりを通した水源地再生を提案しました。

 

アサザ基金提案の逆水門柔軟運用案に関する国会質疑

アサザ基金が提案している霞ヶ浦と利根川・海を隔てる逆水門(常陸川水門)の柔軟運用案についての国会質疑(第155回 参議院環境委員会)を逆水門の柔軟運用案のコーナーにアップしました。

国会質疑の中で、国土交通大臣が約束した湖の水位管理や逆水門柔軟運用に向けた合意形成の場(円卓会議)は、後に国交省の官僚らによって、住民の意見を一方的に聞くだけの意見交換会にすり替えられてしまい、実現しませんでした。

けれども私たちは諦めていません。その後も流域の土浦市議会やつくば市議会などに逆水門の柔軟運用実施の請願を行い、全会一致で採択されています。茨城県市議会議長会でも、私たちの提案が全会一致で採択され、国に意見書が提出されました。国家戦略特区への提案は、マスコミ等でも広く報道されました。

アサザ基金は、引き続きこの円卓会議の実現と逆水門の柔軟運用の実現を求めていきます。

都市と農村を結ぶオーガニックハロウィン

牛久駅前の欅並木を都市と農村の交流の場(循環の輪が広がる場)に変えよう。

牛久市は、西部で都市化が進み人口が増加する一方で、東部(農村部)では過疎化が進み耕作放棄地の増加や森林の荒廃、放置竹林の増加などが深刻化しています。また、同じ市内にありながらも、東西の交流があまりありません。
私たちは、欅並木を通して牛久市には多様な地域や環境があることを、人々が感じ取れるようなイベントや活動を提案して行きたいと思います。そして、それぞれの地域が抱える問題や課題を欅並木で生まれる新たな結びつきや協働によって解決に導いていきたいと考え、オーガニックハロウィンを実施しました。

茨城県牛久市内の都市部と農村部の過疎地域の交流を促し両地域が抱えるそれぞれの問題や課題の解決をはかります。このプロジェクトでは、若者に人気のハロウィンを交流の場にして、両地域が抱える以下の問題を結び付け解決をはかります。

1.牛久市の農村部では、過疎化が進み集落周辺の里山では放置育林が増加し多様な生物の生息地となっている雑木林を浸食しつつあります。また、空き家や耕作放棄地が増加しています。独居老人が増えて地域での人的交流が失われつつあります。

2.牛久市の都市部では街路樹の落ち葉の増加が問題化しています。とくに、牛久駅前のケヤキ並木では落ち葉の量が多く処理に苦慮しています。対策として、ケヤキの枝を切り詰めるため景観が損なわれています。また、ケヤキ並木のある大通りでは駅前であるにも関わらず人通りが少なく活性化が求められています。

本プロジェクトではハロウィンのイベントの一環として以下の活動を農村部と都市部の交流によって行ないます。

  • 農村部で放置竹林の整備をボランティアで行い、切り出した竹を使って竹箒を地元のお年寄りに指導してもらって作成します。
  • 作成した竹箒を使って駅前のケヤキ並木の落ち葉集めをするイベントをハロウィンに合わせて行ないます。
  • 集めた落ち葉を農村部の耕作放棄地に運び込み腐葉土を作成します。
  • 熟成した腐葉土を肥料に使って、耕作放棄地を再生した畑でカボチャなどの野菜を、再生した水源地谷津田(かっぱん田や南中田んぼ等)で稲を無農薬栽培します。また、オーガニックの作物の普及をはかるため、趣旨に賛同する農家に腐葉土を配給します。
  • これらの畑で収穫したカボチャや米などの無農薬有機栽培の作物を、ケヤキ並木の落ち葉集めのイベント「オーガニックハロウィン」で販売します。ケヤキ並木沿いの空き地や空き店舗を利用してマルシェや様々なイベントを開催して駅前の活性化をはかります。
  • 本事業を契機に都市部からのボランティアを受け入れ、竹林整備や腐葉土作りや耕作放棄地再生などを行い、集落内の空き家を改修して農村部の住民との交流を促す拠点として活用します。
  • オーガニックハロウィンの企画運営を市内の農村部と都市部にそれぞれある小中学校の総合学習や交流学習の場として活用します。
  • 放置竹林が拡大して、里山の環境を悪化させています。

竹箒で街に魔法をかけよう〜牛久ファンタジー化計画

欅並木をファンタジー化して、牛久の第一印象を作ろう。

牛久を初めて訪れた人たちは、この街にどんな印象を持つでしょうか。多くの人たちは牛久駅から出てからまず触れる街の雰囲気、つまり牛久の第一印象はどのようなものでしょうか。駅東口(シャトー口)を出ると、まず視界に入って来るのは奥に向かってのびる欅並木です。

この欅並木は、駅から降りた訪問客が最初に出会う牛久市の景観であり、牛久市のイメージを左右する重要な要素となっています。牛久の街の導入部にあたる部分です。この欅並木から市民のみなさんは何を感じますか。この欅並木は、物語で言えば導入部に当たります。これからどんな物語が始まるのか、どんな出会いがあるのか、初めて牛久を訪れた人たちに期待や夢を抱かせる為の重要な場です。つまり、牛久が有するポテンシャルを表現する場です。

私たちは、駅前の欅並木をファンタジー化して、みんながワクワクする牛久の物語を作ることを提案します。

欅並木で出会う、始まる。

素敵な物語はいつも想定外の出会いから始まります。私たちは欅並木を牛久の様々なものや人が出会う場に変えていきたいと考えます。欅並木を牛久に潜在する魅力を感じさせ、ここだけの物語が始まる予感させる場に変えていきたいと思います。それには、欅並木と関わる人々やものを増やしていくことが必要です。

欅並木は、牛久の市民とどれくらい関わり合っているでしょうか。並木の間に季節の草花を育てるボランティアの方々はいますが、多くの市民はただ自動車や自転車に乗って通り過ぎていくだけかもしれません。

欅並木の維持には、現在いくつかの問題や課題があります。一番の課題は、秋に舞い散る落ち葉の処理です。車道や歩道に落ちる落ち葉を掃き集め処分するために多くの労力が必要になっています。落ち葉を減らすために、欅の枝を切り詰める剪定も行われ、原宿表参道の欅並木のような欅らしい伸び伸びとした樹形を楽しむことができません。原宿では、落ち葉の時期になると多くのボランティアが集まり落ち葉掃きをしているそうです。このような人々の関わりによって、美しい欅並木が維持されていると聞いています。集めた落ち葉は、郊外の農家に持って行って腐葉土にして野菜栽培に活用されているそうです。

牛久の欅並木もこのような人々との関わりによって、その姿を変えていくことができるのではないでしょうか。

欅並木に魔法をかけよう!牛久市が持つ多様性を感じられる場にしよう。

 牛久市には様々な特色を持った地域があります。また、市内には様々な課題や問題があります。欅並木が抱える問題や課題の解決に向けて、様々な人々が出会い繋がることができたら、欅並木も牛久市も変わることができるでしょう。牛久市の玄関口牛久駅に繋がる欅並木が街に変化を生み出す出来事が生まれる場所になれば、牛久市のイメージも大きく変わります。

牛久駅東口の空き地(原っぱ)で毎年開催しました。

紙芝居を観たり、ススキミミズクを作ったりしました。

落ち葉で作った腐葉土をりんご園に運んで使ってもらいました。

神谷小学校の子ども達による霞ヶ浦水源地の再生

茨城県牛久市立神谷小学校の取り組みは、文部科学省の2004年度「学校支援を通じた地域の連帯形成事業」の一環として始まり、その後牛久市独自の教育事業の一環として継続されてきました。この学習活動には、これまで2千人近い小学生が参加しました。

神谷小学校の取り組みは、地域の社会課題に子どもたちが取り組む先進的な事例(探究型の学習)として知られ、教科書やマスコミ等でも数多く紹介され、教育関係者の視察も国内外から訪れています。

この子どもたちの取り組みから、アサザプロジェクトが霞ヶ浦や牛久沼の流域各地で展開する水源地再生事業が始まりました!子ども達は、まさにパイオニアです!

4年生は、毎年霞ヶ浦をテーマに環境学習を行なっていましたが、学校のすぐ隣に霞ヶ浦の水源地があることを知りませんでした。現場に入ってみて、学校のそばに霞ヶ浦の課題があることに気づきました。

昔の谷津田は、どんな環境だったのかを知りたくなりました。

自然だけではなく、人とのつながり、地域の歴史や文化とのつながりも視野に、谷津田再生を考えていきました。チーム間で意見が合わないこともありましたが、何度も話し合いました。

地元の人から昔はウナギが谷津田に来ていたことを聞いていたので、谷津田の再生には川や湖や海とのつながりを取り戻すことも視野に提案を考えました。

提案に対してもらった意見や助言をいかしながら計画を具体化していきました。計画作りの授業には、牛久市の担当職員も来て相談に乗ってくれました。

市役所にお願いするのではなく、どんなことを協力をしてほしいのかを、具体的な内容をあげて市長に提案しました。

つぎに、自分たちの提案をまちづくりとして実現していくために必要なことを学びました。川のコンクリート壁に穴をあける許可を県から得るための書類作りや、地元の住民への説明、実施前の現地調査などを、市役所の職員やアサザ基金のスタッフに協力してもらいながら行いました。

子どもたちが、牛久市の許可を得て、大ハンマーで叩いて魚が川から田んぼに入れるようにしました。

子どもたちが再生した谷津田の上流に住宅が増えた影響で、豪雨時に大量の雨水が谷津田に流れ込むようになり、植えた稲やオタマジャクシなどの生き物が流されてしまうことから、谷津田の保全には上流の環境を調べ、改善していくことが必要だということに気づきました。

市街地では、雨水が地面に滲み混むことができず、まるでゴミのように早く無くなるように処理されていることに気づきました。

子どもたちの自宅もある住宅に行って、雨水がどのように流されていくのか、大雨の時に側溝から水が溢れる場所などをチェックしました。

インターネットで市川市などの雨水対策を調べて、雨水を地下に浸透させる方法を知りました。

雨水の有効利用で先進的な取り組みをしていた墨田区から担当者を招いてお話をしてもらいました。

毎回、自治会から厳しい指摘もありましたが、教室に持ち帰りみんなで話し合いながら答えを見つけていきました。意見交換を重ねたことで、自治会の理解と協力を得ることができました。

後に続く学年の子どもたちも毎年課題を見つけて提案をしていきました。

長年子どもたちが学習を引き継ぎながら取り組んできた結果、ついに最初に谷津田再生プロジェクトを始めた先輩たちが目標にしていた蛍が谷津田に帰ってきました!

そこで、そのことを先輩に伝え、先輩から4年生の時の思い、未来の4年生に向けて伝えようとしていたことなどを話してもらいました。

先輩が、4年生の時に書いたノートを見せてもらいました!

神谷小の取り組みを地域に広げていこう!

次の学年の子たちに取り組みを引き継いで行きました。

牛久市教育委員会とアサザ基金は、2004年から市内の小中学校の子ども達が様々な社会課題に取り組む総合学習(探究型学習)を行なってきました。

子ども達の学習を様々な組織が縦割りを超えて支援できる体制を目指しました。

アサザ基金が牛久市の取り組みをモデルにして全国各地で行なっている総合学習に参加している学校の子ども達を牛久に招き、交流を重ねました。

子ども達は谷津田でいきいきと活動しています!

神谷小記事

 

NPO法人アサザ基金では、職員を募集しています。

NPO法人アサザ基金では、職員を募集しています。
普通免許をお持ちの方。
経験や年齢は不問です。
主な活動地域は、茨城県牛久市。市内に、月5000円から10,000円で、住居をお貸しできます。家庭菜園付きです。
詳しい内容は、アサザ基金のホームページの 参加するー採用情報をご覧ください。
わたしたちと一緒に、里山の自然の中で働いてみたい方は、お気軽にお問い合わせください。
来年4月からの勤務も可能です。

風船トーク 鎖に繋がれた言葉はいらない。

風船トーク 案内チラシ 原宿表参道商店街欅会 協賛

 

息を吹き込んでみよう、そうっと

 

そうっと、

息を吹き込んでみよう

そうっと、

碧く光る湿った息が

都市に眠る竜にとどくように

息を吹き込んでみよう

ほっぺをふくらませて

海の息を風船に思い切りいっぱい

息を吹き込んでみよう

言葉を繋ぐ鎖がとけるように

揺らしてみよう衝動の小舟にのせて

息を吹き込んでみよう

リーフの波紋が珊瑚に映るように

都市をおおう震えるリゾームになって

息を吹き込んでみよう

目覚めた竜がひげを動かすように

そうっと

(風船トークin原宿   2012.3.18)

 

ミツバチはささやく「わたしの壁は溶ける」

 

わたしは、都市の片隅でひそかに壁をつくる。

ビルの谷間に咲く小さな花をさがし求めるために

わたしは壁の中で生まれた。

でも、わたしの壁は溶ける。

壁は溶けてかすかな虹になる。

わたしは、都市の片隅でひそかに壁をつくる。

季節に移ろう花々の証をとどめ置くために

わたしは見知らぬ花々を結びつける。

でも、わたしの壁は溶ける。

壁は溶けて灯をともす。

わたしは、都市の片隅でひそかに壁をつくる。

まちを読み替え、見知らぬ花と出会うために

わたしはふるえる、無数の羽音の中で

わたしの壁は溶けて音をうるおす。

壁が溶けて音楽を奏でる。

わたしは、都市の片隅でひそかに壁をつくる。

忘れられた竜をよびもどすために、唇に虹をかける。

わたしは蜜をつくる。虹のように甘い

わたしの壁の中では虹色の竜が育つ。

壁は溶けて空に竜を描く。

わたしは、都市の片隅でひそかに壁をつくる。

でも、わたしの壁は溶ける。

震えるわたしの言葉の中で

壁は溶けて

色とりどりの光る膜にかわり

風船になる。

(風船トークin原宿   2011.6.11)

宮古島と多良間島からゲストを招き、原宿で自由k気ままに語り合った。

エッセイ 狼と茶畑と子ども達

狼と茶畑と子ども達

  わたしはここ数年、三重県の山村にある小学校に授業をしに行っている。伊勢神宮外宮の近くを流れる宮川の上流域にある小学校で、地域のお宝探しをテーマにした学習を行ってきた。宮川は、秘境大台ヶ原に源を発し日本有数の清流といわれている。古くは聖地伊勢神宮と俗界を別ける境界でもあった。その上流域は豊かな自然に恵まれているが、近年では過疎化が急激に進んでいる。

  最初に関わったのは、大紀町の小学校で当時の三年生13人であった。わたしが初めて授業に行った時には、子ども達はすでに地域のお宝探しの学習をやっていて、ひとりひとりが地元の観光案内に載っているような名所旧跡や特産物などを選んで調べていた。子ども達がそれらの紹介をするまでは来たが、その先の学習をどのように進めて行ったらいいのかと、当時の担任の先生が悩んでいるところだった。

    わたしは、子ども達が選んだお宝の紹介をひと通り聞いてから、子ども達にこう投げかけた。みんなが紹介してくれたお宝はもう昔からお宝に成っていたものだから、お宝を自分で探して見つけたことにはならないのでは?これからみんなで、まだ誰も見つけていないお宝を見つけに行ってみないか。まだ誰も見つけていないお宝を探し出すには、今まで見えなかったものが見えるようになったり感じられなかったものが感じられるようになることが必要だ。そのために、まずは、みんなと同じ土地に生きている野生の生き物たちとお話ができるようになって、生き物たちから私たち人間が知らないことや忘れてしまったことを教えてもらおう。そんな呼び掛けから新たなお宝探しの学習が始めた。

   ユクスキュルという理論生物学者は、それぞれの生物が生活の繋がりを通してそれぞれの世界像を描きながら環境に適応して生きていると考え、それを環世界と名付けた。つまり、全ての生物はそれぞれに別々の時間と空間を生きているということだ。國分功一郎さんは、その著書「暇と退屈の倫理学」の中で、人間の生物としての特色として環世界移動能力の高さをあげている。環世界移動能力とは、他の生物の環世界への移動ができるという能力をいう。この発想は、面白い。環世界移動能力を生かせば、人間は様々な時間と空間を生きることができるからだ。わたしが以前から行ってきた「生き物とお話しする方法」の学習とも重なってくる考え方だ。

   子ども達との学習は、まず、身近な生き物たちの体のつくりと住処、暮らしについて学び、それらの三つの要素の関連を考えることから始まった。生き物たちが生きている世界を学ぶことで、自分たちが普段見慣れている風景の中に様々な世界像があることに気付き、これまで見えなかった繋がりや文脈、過去のイメージが無数に潜在していることを知るための学習だ。

   子ども達と、生き物の目になって地域を見直しながら、お宝を探して地域を歩いてまわった。その中で、わたしは子ども達にさらに新しい問いを投げかけた。以前、子ども達が紹介したお宝は、どこか一箇所にだけあったり、とても珍しいとかといった特別なものばかりだったけれども、みんなには、地域のどこにでも普通にあって宝物に変えられそうなものを探してほしい。子ども達は、これを聞いて少し戸惑っている様子だったが、わたしはさらに一言加えた。地域に当たり前にあるものを宝物に変えるには、魔法をかける必要があるんだ。そこで、みんなには魔法をかける方法も見つけてもらいたい。子ども達は、ますます黙り込んでしまった。

    子ども達は、答えの全く用意されていないもやもやとした問いと向き合いながら、地域のお宝探しを続けた。そんな或る日、男の子が道端に落ちていた石を拾って、わたしに言った。石ならどこにでも落ちているよ。まったく、その通り。でも、どうして石がお宝に成りそうだと思ったの?と聞くと、男の子は「これ猿投げ石って言うんだ。この間、沢の向こうから畑を荒らしに来た猿に向けてここから石を投げたら当たったんだよ。」この話を聞いて、みんなが大笑いをした。

   確かに、この地域は他の過疎地と同様に獣害がひどい。畑も水田もどこもかしこも柵や網で囲まれていて、まるで人間が檻の中で暮らしているような異様な光景が至る所にある。子ども達も、通学途中などに鹿や猿などをよく見かけているという。獣害は、子ども達にとっても大きな関心事のひとつであった。

   子ども達と地域を歩いていてもうひとつ気になることがあった。それは、集落の所々に藪が増えてきていることだ。特に、山際から家の庭先まで畑と交互に点在している茶畑が、所々手入れがされず放棄されて藪になっていた。農家の高齢化が進み、このような藪化した茶畑が増えていたが、それらの藪が獣たちの格好の通り道になって、獣害を加速させていた。よく茶の名産地などで見られるような大規模な茶畑が広がる景観とは違い、この地域では民家と茶畑や田畑が入り組んで独特の美しい景観を見せている。子ども達が描いた集落の絵地図の中にも、所々に茶畑があった。

   茶畑が、地域のどこにでもあるものとして、子ども達の印象に残りはじめたが、その茶畑は同時に過疎化や獣害といった地域が抱える問題を表す場でもあった。お宝探しの学習は、13人の子ども達が毎回それぞれ自分が住んでいる集落内を絵地図を持って案内する形で進んでいった。或る集落では、女の子がきれいに手入れされた茶畑の中を案内してくれた。その女の子は、この茶畑はお祖父さんが、大切にしていて、ここで採れたお茶は本当に美味しいと、誇りに満ちた表情で説明してくれた。そして、茶畑の中を歩いていた時に、女の子がぽつりと言った言葉に、みんながはっとして立ち止まった。「何か落ち込んでいたりして気持ちが沈んでいる時に、この茶畑の中を歩いていると、気持ちがすうっとして心が軽くなっていく感じがするの。だから、わたしはお祖父ちゃんの茶畑が大好き。」この言葉を聞いて、ひとりの男の子が叫んだ。「お茶やお茶畑や!」地域に当たり前にあったものに、魔法がかかった瞬間だった。

    地域のどこにでもあるものを宝物に変えることができたら、地域そのものをお宝に変えることができる。ここから、子ども達が地域に魔法をかける学習が始まった。地域の大人たちに、荒れていた茶畑をみんなで手入れして無農薬栽培でお茶を育てることを提案し、大人たちが子ども達の茶園作りに協力するようになった。そして、その取り組みに東京の企業もボランティアとして参加し、地域ぐるみで茶摘みなどの作業が行われ、ついに子ども達がネーミングやデザインをした新しいブランド茶が誕生し、販売された。この学習に取り組んだ子ども達は、すでに小学校を卒業して中学生になっているが、お宝探しをさらに続けて発展させたいと、廃校になった学校の校舎で定期的に集まって地域づくりを考え実行する塾を開催している。塾には、後輩の小学生も参加して新しいお宝を探し続けている。

    さて、表題にあるニホンオオカミはいつになったら登場するのかと、そろそろ疑問をお持ちかもしれないが、実はすでに登場していたのだ。ニホンオオカミは土地の記憶の中に眠っていた。そして、記憶の奥深くから少しずつ、こちらに向かって歩いて来ていたのだ。

   大紀町での学習をきっかけに、わたしは昨年から宮川の最上流部に位置する大台町の小学校でもお宝探しの学習をするようになった。ここは、日本で最後までニホンオオカミが棲息していた地域のひとつでもある。実際に、地元では今でも大台ヶ原などにニホンオオカミが生き残っていると信じ、探し求めている人達もいる。野外観察や授業の中でも、子ども達からニホンオオカミの話が出ることが時々ある。ニホンオオカミの名を口にする子ども達の表情からは、微かな誇りが感じられるから不思議だ。

   この地域でも獣害は深刻だ。だが、さすがだなと思ったのは、子ども達にわたしが獣害の話をすると必ずニホンオオカミがいなくなったからだという声が上がることだ。ニホンオオカミは絶滅したとされるが、人々の記憶の中では今も確かに生きていると感じた。そして、ニホンオオカミは記憶の中に生きるだけではなく、場として今も生き残っていると感じた。その場とは、ニホンオオカミのイメージが立ち上がる場だ。もしも、場として生きるニホンオオカミを生かし機能させることができれば、獣害対策の発想を転換できるのではないか。そこで、ニホンオオカミから学ぶ獣害対策を考える学習を、いま子ども達と行っている。つまり、地域に場として潜在しているニホンオオカミを生きて働く過去にする方法(魔法)を見つけることが、子ども達の学習テーマとなった。

    子ども達が新しい魔法をかけるためには、まずニホンオオカミを呪縛している古い魔法を解かなければならない。わたしは、まず赤頭巾ちゃんの話から始めた。欧米では、狼は有害で邪悪な存在として扱われてきた。そこには、自然界の何かを悪と決めつける世界観があった。このような世界観が自然破壊を引き起こす近代文明の根底にはある。一方、日本では古代から狼は、大口の真神や大神、賢き神として崇められ畏れられてきた。時に人を襲うこともあったようだが、田畑を荒らす鹿などを捕食する狼は決して排除されるべき対象にはなっていなかった。狼は、山と里の境界を越えて行き来する存在であった。西洋のように人間と自然との境界を壁で仕切るのではなく、その境界を膜に変える存在が賢き神としての狼であった。ところが、日本が明治以降に近代化を進める中で、古代からの狼観が失われ欧米の赤頭巾的な狼観に変わってしまった。その先に、ニホンオオカミやエゾオオカミの絶滅、さらには、今日の獣害問題や環境破壊があるのではないか。境界を膜から壁に変えてしまう呪縛は今も続いている。実際に、どこの山村でも人々が壁ではないが堅牢な柵で囲まれて暮らしているではないか。

    特定の生き物を悪と決め付け駆除することしか考えられないとすれば、それは、狼を絶滅に追い込んだ考え方と変わらない。そのような考え方で自然と向き合い続ける限り、獣害問題を解決できないばかりか、また新たな問題を引き起こすだろう。

    たとえ今は姿を見ることができなくなったとしても、場として潜在するニホンオオカミとの対話を人々が取り戻すことで、新たな発想に基づく獣害対策を考え出すことができるかもしれない。ニホンオオカミは生きて働く過去として、地域全体をお宝に変える魔法のかけ方を、子ども達に教えてくれるに違いない。そのために、子ども達によるニホンオオカミとお話しする学習を手探りで進めていきたい。

                                   2014年12月8日       飯島 博

荒れた茶畑に魔法をかけて地域のお宝に変えた子ども達

三重県度会郡大紀町の小学校では、地域のお宝探しの学習を行っています。「地域の自慢できるものは何?どんなお宝がある?」という問いかけから学習は始まりました。はじめに、子ども達が「宝物」として選んだものは、松阪牛や名所旧跡などの以前から有名なものばかりでした。しかも、それらは特定の場所にあるもので、地域や町全体にはありません。そこで、子ども達に新たな問いかけをしました。「町のどこにでもあるもので、宝物に変えられそうなものを見つけてみよう。みんながまだ宝物だと気付いていないものを見つけよう。」ここから子ども達によるお宝探しが始まりました。お宝探しは、地域を支える様々なつながりを探りながら進んでいきました。詳しい内容は、学習事例集をご覧ください。(3p〜5p)

エッセイ 狼と茶畑と子ども達

 

 

 

 

狼と獣害対策を考える総合学習

オオカミと考える獣害対策で町を元気にする~三重県多気郡大台町の小学生による総合学習

宮川の最上流部に位置する三重県多気郡大台町は、壮大な大台ケ原の山懐に抱かれた自然恵かな地域です。ここでは過疎化や獣害、森林荒廃による土砂崩れなどの問題が深刻化しています。この地域にある小学校に通い、子ども達と、生き物とお話しをする方法を学び、地域のお宝探しの学習を行いました。問題の資源化がテーマです。

学習する中で、印象的だったのは、子ども達から何度も発せられた「害獣が増えたのは、日本オオカミがいなくなったから」という言葉でした。宮川の上流域は絶滅した日本オオカミが最後まで生き残っていた地域といわれています。そのため、地域には、今でも日本オオカミへの思いや記憶が生きていることが、子ども達との対話を通して見えてきました。そこで、地域の深刻な課題である獣害の対策を、オオカミと相談しなから考える学習を行うことにしました。オオカミとお話しする方法を学び、オオカミの目になって獣害問題を見つめ直すことで、駆除といった従来の獣害対策とは異なる発想が、子ども達から生まれてきました。詳しい内容は、学習事例集をご覧ください。(p6〜7)

エッセイ 狼と茶畑と子ども達

授業中は、共感できる意見が出ると、生徒達が一斉にウオーと狼の遠吠えで応えていました。ユニークな提案が次々と発表され、創造的な学習ができました。