酒粕クッキーを片手に、読書をする時間が大好きな
アサザ職員の清水です!
今日は、わたしのオススメのお菓子作りと本を共有します。
最近、米粉入りの酒粕クッキーをよく焼いています。
しかも、アサザプロジェクトで生まれた酒粕。
アサザ基金では谷津田を通して、地酒屋さんと繋がりを持っています。
この時期になると、お酒の仕込みと一緒にたくさんの酒粕が生まれます。
その酒粕を一部地酒屋さんから分けていただいています。
「酒粕クッキーレシピ」
酒粕を使って、チーズ風味の酒粕クッキーレシピを共有します!
家にオーブンがある方、ぜひアサザの酒粕を使って、酒粕クッキーを一緒に作りませんか?
もし酒粕の加工をしたい、使いたい方がいればアサザのメールアドレスにご連絡ください。アサザの事務所まで来ていただければ贈与しますよ。
薄力粉と米粉 100g(8割2割がわたしの中でお気に入り)
バター 40g
酒粕 40g
砂糖 30g
塩 少々
1 バターと酒粕を常温で、クリーム状になるまで混ぜる。
2 粉類を投入。混ぜる。
3 棒状にし、ラップをして、冷蔵庫で3時間ほど置く。
(ここをサボるとあまり美味しくない‥)
4 170度のオーブンで17分ほど焼く。
このチーズ風味のクッキーを片手に、読書の時間。
最近読んでいるのは
『さよなら男社会』尹雄大
『さよなら男社会』は、ちょうど東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗元会長の女性差別発言がメディアに取り上げられていた頃から読んでいます。
彼の発言の一部。
「結局、あんまりいうと、新聞に書かれますけど、悪口言った、とかなりますけど、女性を必ずしも数を増やしていく場合は、発言の時間をある程度、規制をしていかないとなかなか終わらないで困ると言っておられた。誰が行ったとは言わないが、そんなこともあります。
わたしどもの組織委員会にも女性は何人もいたっけ?7人くらいか。7人くらいおりますが、みんなわきまえておられて。みんな競技団体からのご出身であり、国際的に大きな場所を踏んでおられる方々ばかりです。ですから、お話もシュッとして、的をえた、そういう我々は非常に役立っておりますが。
次は女性を選ぼうと、そういうわけであります。」
私が特にモヤモヤした言葉は「非常に役立っておりますが」の部分でした。
森さんにとって女性は、2021年という時代においても、男性の役に立つという視点で評価されていたのだなと。ちなみにわたしは男性のために生きているわけではないです。男性の役に立つために生まれていません。
わたしは森さんのジェンダーステレオタイプの発言に対して怒りの感情がありました。が、森さんの言い分わかるなと思った人も数多くいたのではないでしょうか。
むしろ、今の日本ではそう思う人がマジョリティかもしれません。
今では彼に感謝の気持ちでいっぱいです。
それは、彼の発言を生んだのは、私(私たち:女性も男性も)かもれしないからです。
自分のモヤモヤの気持ちに嘘をつき、自分の意見を言わず、許してきてしまったからです。
わたしは、森さんの発言を経て、どんな抑圧、力の圧力があろうとも、今後自分の意見を言おうと決意しました。行動しなければ森さんのような発言をしてしまう人を許してしまう社会になってしまうためです。
さてさて、本題の本について。
この本は、女性をもっと大事にしようとか、男女差別をなくそうといった、
男性が読みたくなさそうな、男の人の気持ちを理解できていない
フェミニズム本とは異なる内容だと思います。
「どのようにあたかも自然と男は男になってきたのか」を問うような本だから。
男性、女性関係なく、日本語がわかる人全員に本当に読んでほしいです。
「50歳となる著者が自らの体験を出発点に「いかにして男はマッチョになるのか」「どうすれば男性性を脱ぎ去ることができるのか」を問う」
そんな本です。
興味深い本は目次を読むだけでわくわくします。
目次惚れで、買ってしまった積読本が家にたくさんありますが‥。
例えば、1章は「どのようにあたかも自然と男は男になってきたのか」で始まります。
節の問いも議論のしがいがありそうです。
例えば
「女性は感情論で話す」のか?
克己心という意気込みの表明
権力を脇に置くことができない
父の抑圧
軍隊式身体
自己否定がもたらす力の感覚
自身に潜む他者との対話
などなどです!
わたしが読み終わったら、いつでも貸し出しします。ぜひパラパラと読むだけでもしてみてください。
男女平等大事 と言っても、実現することは非常に難しいです。
わたしは、どんな社会問題もそうですが、「内なる自分」を変えずして社会は変わらないと考えます。だから、内なる自分を変えるためにも、たくさん自分とも相手とも対話をしていきたいと思います。その時は、相手がどんなに自分と異なる意見を持っていても、共有してくれているのだから、まず受けいれ、自分の意見も伝えられたらいいなと感じます。それは、わたしには、考えがまとまっていないのに話したら否定されてしまうな、怖いなと感じてしまう「自分」がいるためです。あと、人の意見を批判することは状況に応じて大事だと思います。が、ジャッジ(いい・悪いの評価)はしたくないなと思います。
わたしがされて嫌なことは人にもしたくないと思うこの頃です。