スタッフブログ 「たくあんと私」

はじまりました、アサザ基金の職員がお届けする「ひびのブログ」。
アサザ基金のスタッフが日々おもうこと、感じることを綴ります。

アサザ基金の取り組みに日々関わっているひとがどんな人なのか、
わたしたち職員に会ったことのある人もない人も、ぜひ時々のぞいてみてください!週一回、職員がバトンをつなげながら、お届けします。
2月初回は、私、清水回がお届けします!

お題は「たくあんと私」です。

私は、最近自分の食卓に出すものをできるだけ、自分でつくりたい!という強い思いがあります。それは、数年前の大学時代に今の農業にどんな背景があるのかを勉強する機会があったためです。スーパーにあふれる「食べ物」がいかに不公平な社会を作り出しているのか、という食からみる社会の仕組みを議論したり、本を読んだりしました。

自分が手に取るものの選択によって、不公平な社会を持続させることに貢献してしまうことを学びました。例えば、コーヒー豆。フェアに貿易していますよというレーベルがついたフェアトレードのコーヒー豆も、実際本当にフェアなのかは、わからないです。コーヒー豆をつくっている現地の人とそれを買う私たち生活者の間に、中間業者がたくさん多いので、結局農家さんに入る収入が少ない現状があります。もし興味がある方がいれば『フェアトレードのおかしな事実』(コナー・ウッドマン)をぜひ読んでみてください。

このように、私にとって「食卓の自分ごと化」は人生における大きなテーマでもあります。責任感からも興味があるテーマです。最近得た「食卓の自分ごと化」のヒントは、地域に代々伝わる食事の文化にあるのではないかという視点です。
地域の食文化を自分の手で実際につくることで、その土地において、人々がどんな暮らしがあったのか、農を通して自分と向き合っていたのかが見えると考えています。

さて今回取り上げたい「たくあん」とは、地域の方とのあいさつがはじまりでした。

アサザ基金の霞ヶ浦水系の一つである、牛久市島田町の谷津田で竹林作業をしている際に、散歩をしにきた地域の方が2人。ちょうど、アサザのビオトープ農原で大根がたくさんできた時期で、たくあんの保存の仕方を知りたいなぁと思っていたので、思いっきってあいさつをしてみました。そこで、彼女たちから「Nさんだったらたくあんを毎年上手につくっているよ」という貴重な情報をいただいたので、作業のお昼休みにお伺いしました。

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清水  たくあんのレシピはお母さんから教わったんですか?

Nさん 私らは、代々農家だから。で、じいちゃんとばあちゃんがやってて、その頃は手で抜いたから大変だったのな。でも、今は抜く機械買ったんだけど。

清水  実際、どのように作っているのですか?

Nさん 作り方は、干し柿にする渋柿あるでしょ、あれで皮向いて柔らかくして、ぬか一升に対して塩を一合かな。つけてる間はちゃんと重ししてやるんだよ。漬けてれば水が出てくるから、その水が出てくる頃には、ちょっと水一回くらいとんないと。大根50本漬けるとすれば…

清水  そんなには漬けないですね笑 10本くらい。。。

Nさん 10本だけ?笑

清水  そうです。漬ける時期はどのくらいが丁度いいですか?

Nさん 11月くらいかな。今やったら遅いね。大根凍らせたら、終わりだよ!凍らせたらいけないよ!

という具合に非常に学びのある昼休みでした!
突然お伺いしたのに、最後にてづくりたくあんを何枚かごちそうになりました。
黄色い着色料もついておらず、きれいな肌色のやさしくて甘いたくあんでした。

地域のおばあちゃんとたくあんを通してつながることができた出来事は、私にとってこの上ない幸せです。このつながりは島田町とのつながりだとも感じています。一回目に訪問したあとも、大根の干し具合を確認してもらったりしました。

迷惑かもしれないけれども、今後も島田町の食文化についてもっと聞かせていただきたいと思っています。これは私の小さな仮説ですが、もしかしたら「食卓の自分ごと化」ができていた(技術的にせざるを得なかった)時代の人々のつながりは「食事」を通してできていた部分も大きいのではないかと考えさせられます。このおばあちゃんによると、昔は島田町で味噌もしょうゆも当たり前のように作っていたそうです。今や、台所に立つのは性別関係なしの時代。LGBTQ+もみんな、食事を通して人がつながるところから、人と自然のつながりが再生できるかもしれません。食事は、自然の恵みを受けて初めて成り立つからです。

 

 
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