お仕事は農業ですか?

▼お仕事は農業ですか

良く町の人や友人に「お仕事は農業ですか?」と聞かれる時がある。その時の自分の返答が、いつももやもやしたものになる。先日はこういう風に答えた。

「自然の再生をする仕事です。農業とかではく。小さな生きもの 例えば トンボ やカエルの住処づくりをするために町をビオトープとして、ため池や田んぼや畑や竹林や森を再生していく仕事です。」

と答えしまった。ここではアサザ基金のミッションである霞ヶ浦 とか 水源地谷津田とかその様なキーワードのほとんどを伝えることが出来なかった。(もちろん時と場合によって 「霞ヶ浦という湖を再生する仕事です。」とか「谷津田という霞ヶ浦の水源地を再生しています。」と答えることはあるが、先日は上記の様に答えた。)

今考えると色々な説明が思いつくが、とっさに出た上記の説明が自分の今の仕事への取り組みの現状を示している様に思えた。(生きもののためにマチの自然を再生する。という段階にとどまっている。)ところで、最近考えていることは、「アサザ基金は、何をやっている。やろうとしているNPOなのか?」ということだ。代表の飯島さんが共著で出版された「よみがえれアサザ咲く水辺」という本を読んでいたら、以下の言葉に目がとまった。

「自然と共生する社会とは、生活のあらゆる場面に環境保全機能が組み込まれ、人々が自然との結びつきを常に実感することができる様な社会である。」

ふと思った。生活のあらゆる場面に環境保全機能が組み込まれるのはなんとなく分かる。だけど「人々が自然との結びつきを常に実感することができる様な社会って一体どんな社会だろうか?」と思った。
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▼映画「海よりもまだ深く」を見た。

先日牛久市の図書館で映画を見た。「海よりもまだ深く」https://gaga.ne.jp/umiyorimo/

是枝裕和監督の作品だ。主人公 良太(阿部寛)がけっこうに情けないというか。お金にだらしがない人だ。映画の中に何度か「甲斐性がないから」という台詞が出てくる。確かに、この人の生き方を見ていて「情けないねー。」という言葉が何度も、浮かんだが、自分の心が痛んだのは、私にも何か共通するお金だったり、人間関係への情けなさを持っているからだろうなと思う。だけど見終わった後、晴々しい気持ち、清々しい気持ちになった。内容はネタバレになるから言わないが、この映画を見て、私が感じていることは、生のというか   偶然のというか 目の前の人の生の姿に影響を受けて状況が少しずつ予想もしなかったところに運ばれていること。それは、効率と生産性を重視する近代社会的価値観の中では、あまり重要視されないけれど、お金にはならないけれど、清々しいものがあって、そういう場面を、たとえ映画の中であっても感じられたのは至福の時間だった。

海よりもまだ深く - 映画情報・レビュー・評価・あらすじ・動画配信 | Filmarks映画

なんとなくではあるが、しかも無理矢理つなげてしまうのだが、「人々が自然との結びつきを常に実感することができる様な社会」ということにつながる要素がこの映画には存在する様な気がした。

▼人間も自然だ

一般的に誰が見てもそう感じるかは分からないけれど、自然とは植物や生きものの相互のつながりで生まれる複雑な関係性のことだと思うけれど、人間も自然である。人間が自然でもある。だから人間の生き様というか、そういうものを感じる時に、私は自然とのつながりを実感しているということが言えるのではないか。人間の生き様が垣間見られる時、そこには、目の前に、人がいる。そしてそこには対話があり、響き伝わってくる言葉がある。

それらは、効率や生産を重視する価値観からしたら、無力な余白の時間だ。だけど、近現代における余白の、無駄に見える、寄り道的で、井戸端会議的な時間の中に、自然とのつながりは潜んでいる気がする。そういえば4年前 自分がアサザ基金で働こうと思った理由の一つを思い出した。

「人が仕事だけに振り回されず、村の道端や寄り合い所で、よもやま話に花を咲かせることができる社会がいいな。自然からあふれるほどの恵みをいただける世界ならそれができる気がする。」

そこから、人生の豊かさは生まれる気がするし、アサザ基金の仕事は、その対話から生まれるものと、生きもののネットワークとお金の流れを重ね合わせることで、新しい生き方、働き方を発明して、霞ヶ浦という豊穣の海を取り戻す活動なのだろうなと感じる。それを、まだ人にうまく伝えられる感じはしない。けれど、考えて行きたい。

君嶋 耕

 

 
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